トップページ ≫ 未分類 ≫ エッセイ「飯能散歩~ちょっと寄り道ということで・・・」
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今回の飯能散歩はちょっと寄り道ということで……。東飯能駅を出てすぐの並木の下を通りかかり、カラスに後ろから頭をキックされてしまった。どうも近くに巣があって、子育て真っ最中ということだったらしい。
カラスにして、親は子を守ろうと必死なのだ。それに引き比べてみると、どうだろう。我が日本で政府という<親>は、国民という<子>を、命がけで守ってくれているだろうか。これは「北朝鮮による、日本国民拉致という国家犯罪の事実を知って以来」の疑問である。我が国民が言われも無く親兄弟と引き離され、否応無く運命を変えられている。<親>であれば、こんな事実が容認できるはずはない!身も世も無く、わが子の影を求め、居所がわかれば、それこそ命がけで取り戻そうとするのが親の思いだ。それなのに、この拉致問題に対する<親>のふがいなさはどうだろう!!どこの世界に、誘拐犯に対して身代金に加えて毎年の生活費まで送り続ける親があろうか。拉致を認めたから許されるなどということがあろうはずがない。わが国の主権が侵害され、国民の生命財産が犯されている事実にもっと向き合うべきだ。国家政策として他国民を拉致するなどという極悪な国家に対して配慮する必要などあろうか。「わが国民を返せ」と、乗り込んでいって交渉の机を叩くくらいの熱い思いの政治家はいないのだろうか!
前回の「飯能散歩」で、行政には市民に寄り添った姿勢が欲しいという趣旨のことを書いたが、拉致問題はその最たるものであると思う。わが国の政治と政治家のあり方を鑑みる時、はたして、その論議の視点は私たち国民に近いところにあるのかという疑問が残ってしまうのは私だけではないだろう。
人は理によってではなく、情によって動く。国民の思いを受けた政治家たちには、誰よりも熱い思い、たぎる熱情を持ってわが国の舵取りをして欲しい。思いの通じる信頼できる相手にでなければ、命を預けたいとは思うまい……。といったことを考えていたら、カラスの2発目が飛んできた…。読者諸氏も、子育て中のカラスにはくれぐれもご注意召され。(田中ハルカ)
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