トップページ ≫ 未分類 ≫ 太郎・一郎のギッタンバッコ二大政党制への疑問
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千葉県知事に当選した森田健作氏は、単なるタレントではない。国会議員もしっかりと務めてきた。大阪や宮崎とは少し格が違う。4年前の知事選で苦杯をなめたときは、少し選挙を甘く見ていたきらいがあった。「必ず4年後は勝ち抜きますよ。県民の一人一人とつなぎ合いながら今度こそやりますよ」と気焔を上げていたのが、昨日のようだ。
確かによく県民と接した。よく話も聞いた。政治家を志すものの条件として多くの人と接し、多くの人の様々な声を吸収することだ。そして自分の考えも必ず述べる。言葉と言葉のキャッチボールがまず大切だ。森田氏は実に丹念なキャッチボールを続けた。その結果として政治的コントロールも定まったに違いない。
民主も公明も沈んだ。政党のうぬぼれもあきれたものだ。古色蒼然たる政治の手法を持ったリーダーに、もはや有権者の胸をときめかす筈がなかった。それでもこのリーダーは古色蒼然の型でもって党内では支えられた。しかし、人生も政治も先のことは全くわからないものだ。小沢さんのおかげで麻生さんの支持率が上がった。まさに敵失だ。全国の子を持つ親達は子供に言って聞かせるべきだ。「馬鹿だ、漢字が読めない、と言われたって図々しくじっと我慢していれば、やがて浮かび上がってくるんだよ」と。
アインシュタインではないけれど、人生は相対性の原理でできている。必ず相手がいる。その相手によって自分も伸びたり縮んだりするものだ。そろそろ解散をしておかないと。また、相手が伸びてくる恐れがある。「急がば回れ」どころではない。「回らずに急げ」ということも多々あるのが人の世だ。
太郎さんは家康から学んでいたのかもしれない。”鳴くまで待とうホトトギス”だ。一郎さんは”殺してしまえホトトギス”と信長を気取っていたら、ホトトギスから殺されかかっている。だが、太郎さんの支持率が上がったって、微々たるものだ。いまのところ良い勝負だ。2つの政党で争っていると、もっと手強い第3の勢力だってチャンスをうかがっているかもしれないのだ。そもそも二大政党制なんて日本の政治文化に向いているかどうかも分からない。野放しにしていると、政党の独善性だけが目立って、国民の意思なぞ隠れてしまっているのが現状であると思うと、情けないではないか。
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