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いつの頃からか選挙というと駅立ちが当たり前となった。しかも朝と夕方。
政治家を選ぶのにこんなやり方が正しいのか否か。でも、仕方ない。有権者達は一見冷ややかな風をよそおいながら、ホットな気分で候補者の品定めをするのが当たり前になってしまったからだ。自然”ちょっと見”が良いほうが得だ。年寄りより若い方がいい。もちろん美人のほうがいい。かわいそうに、年配の候補者は不利になる。特に、いつもは市民に居丈高な振る舞いをしていた政治家が、コメツキバッタのように頭を下げだすから、奇妙な風景となる。”どっちが本当の顔なんだ?”と一瞬、有権者は戸惑ってしまう。だがすぐに”選挙のときだけの姿だ”と見分けてしまう。
普段、駅に立ったことなどない候補者は気の毒だ。全てが虚像だ。人格者ぶった顔をしたり、いきなり元気になったようなポーズをとる。しかし、背中は決して嘘をつけない。現実よりもずっと老いてしまった人生が顔をだしてしまう。惨めで寂しい話だ。
以前、上半身を見る限り美人がいた。参謀は全身を見せたくなくて、一切、駅立ちを禁じた。上半身だけのポスターに徹した。見事、成功。
それだけイメージは恐ろしい。なんでも駅に立てば良いものではない。どっしりと座って、”俺しか市長はできないんだ!”とふんぞりかえり続けるのも手だ。子ネズミのように走り回っているやつに政治は不向きだとシラをきればいいのだ。それにしても政治がマンガチックになった。いつの頃からだろうか?
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