トップページ ≫ 未分類 ≫ 通り魔事件に思うこと あまりにも深くて広い社会的病巣と病根(第1回)
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「誰でもよいから殺したかった」というのが通り魔殺人の合い言葉になっている感があります。こういう反社会的行為をどうしたら防ぐことができるでしょう。犯行を犯す者が死刑になることも織り込み済みということでは、厳罰対策も効果がありません。
どこかに、まだそのようなことを暗闇の中で考えている者がいたら、その人の為に言いたいことがあります。やっていることは重罪である上にスタンドプレイとしての「ウケ」が好きなあなた、男としてみっともないです。
誰と誰なら殺しても良いとは言いませんが、どうせ目立ちたいのなら、まず女性や子供を除きましょう。そして対象として選ぶのは強そうな男を選びませんか。怖がることはないでしょう、いきなりやるのですから。そして強そうなタイプだけでなく、できたら周囲から嫌われている人間を選びませんか。その方が目立ちますよ。いえ、いえ、分かっています。教育者、宗教家、良識家の皆様、殺人教唆にあたる、と言いたいのでしょう。最後まで聞いて下さい。ナイショ。此処だけの話。殺されてもあまり同情されない人種っていますよね。誰とは言わないけれど…。
例えばですよ。一時停止などの小さな交通違反では、物陰に潜んでいて買い物帰りの主婦や、善良な小市民を見つけてはせっせっとお縄にするくせに【暴】のつく人達には少人数では手の出せないお巡りさん。時々冤罪をつくりだす暴力的なお巡りさん。職務上とはいえ退職するまでに相当庶民のウラミをかっていると思います。(呟き)
それから、(ここから呟きからボリュームが一段上がります)殆ど野放し状態ですが周辺に迷惑を掛ける酔っぱらい、車中で傍若無人な振る舞いをする無頼の徒、選挙時以外は権力志向むき出しの横柄にして傲然たる悪徳政治家、許認可権を濫用する庶民苛めの一部の官僚、警察署、検事、裁判官、税務署、消防署、それらを総称して四者というのだと聞いたことがありましたが、権力志向は悪しき官僚の専売特許ではありません。民においても大企業元請け対零細下請けの様々なカースト系図があります。そして【報道の自由】は表看板に過ぎず、メディアにとって情報はまず商品であり、一部の記者は人の不幸に群がるハイエナでありハゲタカです。倫理観など殆ど無い癖に正義とか自由とかを看板にしているので更に悪質です。
【大いなるものすなはち悪である】ある詩の一行ですが至言です。あらゆる人の組織は大きくなり、時間が継続すると腐敗し形骸化し皆この形になるのです。
因果応報、他人に多大なる苦痛を与えた者は生きている内に天罰仏罰を受けて欲しいものです。といってこの人種の方を選んでグサリとやって貰いたいというのではありません。 その人達があの世にいってから気づくのでは遅すぎます。それにあの世がなかったら無駄死になってしまいます。この世にあるうち気づいて欲しいのです。この世にあるうちは《目には目を歯には歯を》のハンムラビ法典でいきましょう。
ハンムラビ法典は報復の書ではないのです。右の頬を打たれたら左の頬を、上着を取られたら下着も与えよ、という崇高なキリストの教えの前に現状はハンムラビ法典以前の世界なのです。他人に苦痛を与えたものは自分も同じ苦痛を体験しなければ悟らない人達なのです。
他人に与えた同じ悲しみと苦痛を同じ条件下で体験させなければ分からないのです。深夜、病人や幼児のいる窓下を轟音をならして住民に迷惑を与えた者は、コンクリートの密室に拘束し昼夜同じ騒音を流し、同じ時間体験をさせる必要があります。自分の犯した罪が納得出来ない前に死んで貰っては困るのです。それ故に私は死刑反対です。人に長時間苦痛を与えたものに反省する機会を与えず一時の死刑の苦痛で解放してよいのでしょうか。だから、死刑覚悟で通り魔殺人を犯したものも望み通り死刑にしない方が良いと思うのです。生きてその罪の重さが分かるまで死ぬことを許すべきではないと思うのです。
(坂田 桂馬)
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