トップページ ≫ 未分類 ≫ 言葉の力を失った者は政治家も失格
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新風、刷新はどこへいったか
マニフェストという言葉がはやってしまって、マニフェスト以外の言葉や約束が軽んじられてしまっているのが淋しい。というか、全くおかしい。
例えば、1年半前の統一地方選で、ほとんどの新人達や若手達は、“県政を変える”“県政に新風を!”等々のキャッチをつかって登場してきた筈だ。しかし、どれだけ彼らは改革に身を賭してきたのか。皮肉な見方をすれば、県会で多数を占める自民党の内部で、議長候補は四期議員という団内の慣習を大きく変えて八期の議員を議長にした?これは大改革というより大変革だった!この力はどこからきているのだろうか?答えは簡単である。新風とか刷新なんていう言葉は、外からもナメられて一蹴されてしまっただけだ。それだけ陋習の力が強く勝っているという証明をしただけに過ぎない。老獪の前に坐してしまった新人諸兄、その他諸兄は老獪さの研究をしっかりしてから再出発するのが賢明である。
マニフェストはマニフェスト。選挙のキャッチも立派な公約である。言葉の力がいつのまにか政治の世界で失速してしまったことを恥じなければならない。例えば俳句の世界も言葉の格闘技の場だ。政治もまた、議論をするときも言葉の格闘だ。言葉は武器であり、この武器を失った者は、既に議論する資格のない政治家失格者といっても過言ではない。議論は言葉、言葉は政治の重大要件。だとしたら、リーフレットやビラ、演説で使用した言葉をひるがえすものは、言葉と共にその資格すら喪失するという厳しい自覚を持つべきだ。
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