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De São Paulo para Japão-Saitama- Report サンパウロからさいたまへ 第3回
人工都市ブラジリア
下村 政裕
ブラジルの首都ブラジリア。
この首都が人工都市であるということは、自分に充てたメールにもあったように、日本でも、良く知られていることではないでしょうか?
特に、1987年には文化遺産として世界遺産に登録されているところから、日本の若い世代でも広く知れ渡っていることと思います。
なぜこのような人工都市を築いたかですが、日本大使館のHPなどを見ますと、首都をブラジルの中心部に移そうという話は、ブラジルがポルトガルの植民地の時代からあったようです。
理由は諸説あるようですが、リオデジャネイロやサンパウロといったブラジルの大都市は、大西洋沿岸部に存在し、人口や産業もこれらの都市に集中していたため、内陸との格差が大きく、そのため内陸部の開発による国土の均衡的発展が強く望まれていたからということのようです。
20世紀に入り何度か具体的に内陸への遷都が検討されたようですが、中々日の目をみなかったものの、1956年に内陸遷都をスローガンの1つに上げて当選したジュセリーノ・クビチェッキ大統領が、新都市の建設を進め、わずか41ヶ月間で完成させ、リオデジャネイロから、新都市ブラジリアに、首都を移しました。
さて、そのブラジリアですが、日本の国土の5.5倍はあるといわれ、現在は世界有数の穀倉地帯(四半世紀前は不毛の地といわれた)であるブラジルの中央高原(セラード地帯)に位置しています。
標高は、1,100mを超え(最低1,000m、最高1,172m)、かつ地下水が豊富な高原地帯で、連邦直轄区の面積は、東京都の約2.7倍あります。
なお、連邦直轄区は、整然とした計画都市であるブラジリアとその周辺の無秩序に発展した衛星都市により構成され、人口は、直轄区全体で約200万人と推計されており、その内ブラジリアに住む人たちは、約23万人とのことです。
ところで、人工都市ブラジリアは、上空から見ると、飛行機の形をした十字架であるということをご存知でしょうか?
飛行機の胴体にあたる部分には、幅広の中央分離帯を挟んで方側6車線の道路が整備され、機首にあたる部分は、国会(立法)、裁判所(司法)及び大統領府(行政)に囲まれた三権広場があります。
「第1回ブラジルといえば」で掲載していただいている写真は、三権広場で、高さ100mの国旗掲揚等に掲揚される縦横14×20mのブラジル国旗をバックに写真を撮りました。
この広場から、尾翼の方向に向かって、道路の両側に、各省庁の建物と、大聖堂(カテドラル)そして国立劇場が建っています。
胴体の中央部から尾翼にかけては、やはり大通りをはさんで両側に、業務地区、産業地区、メディア地区等が整然と区画され、中高層ビルが並んでいます。
また、翼にあたる部分は、中央に6車線の高速道路と両側に各々4車線の幹線道路が整備され、その道路の両側が住宅街区となっています。
ブラジルの都市部は全国的に車社会といえますが、ここブラジリアも、車での移動を前提に都市計画がされており、道路は基本的に立体交差かロータリー方式が採用されています。
こうした車社会であるということから、生活という意味では、大変不便な都市のようです。
実際に住んでいる方からのヒアリングによると、第1に車がないと生活が非常に困難。
その車での移動は、道路の構造と規制などにより、行きたいところへ行くためには、反対の方向へ進まないと行かれない。
といったことを聞きました。
ただし、同じ車社会であるサンパウロと比較すれば、渋滞がほとんど限られている。
そして、サンパウロとは大きな違いで、歩行者が優先であるといった側面もあります。
しかしながら、運転マナーは大きく違うらしく、加えて、サンパウロより更に物価が高い、あるいは、雨季と乾季しかない気象条件で、特に乾季には、体に異常をきたすほど、空気が乾いていることから、他都市から来た人間にとっては、非常に住みづらい都市との意見もあるようです。
ちなみに、歴史的に貴重な都市が世界遺産として登録されるのが普通であり、ブラジリアのように、1960年4月の町開きで40年に満たない(登録時)若い都市が、登録されたのは、非常に稀な例のようです。
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