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“時代の飢餓に命中させれば、歌は必ずヒットする”阿久悠はそう言って時代の考察に励んだそうだ。
しかし、これは歌ばかりではない。時の飢餓は政治家こそ、いち早く察知すべきだ。というより、このことこそ一番の必須条件だ。KYというのは空気を読めないことを言うそうだが、これとて同義語だ。これを時代の飢餓に命中させよと表現したところに阿久悠の阿久悠たるゆえんがある。
それにしても命中どころか空鉄砲ばかり打ち込む輩や、的すらわからない政治家があまりにも多すぎる。いじめ問題で、いじめられる方も悪いなどと言っている人に政治はまかせられないし、的はずれもいいところだ。農水大臣が、消費者がやかましいと言って何ら反省の弁も聞こえてこないのは、時代の飢餓に命中できないどころか、まるっきり的がはずれていて笑止である。常日頃、的さがしに汗をかかなければ政治家はつとまらない。誰かが脳衰大臣と揶揄したが、言われても仕方あるまい。政治家だけではない。メディアの側にも、時代の飢餓や本質を見誤って、平気でいるのも罰だ。地方の時代と言いながら、地方のニュースをおろそかにしてはいないか。あんまり世の中が劣化しすぎると、もうあきらめ気分で「勝手にしやがれ」と沢田研二の歌をつぶやきたくなるようでは、世も末だ。
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