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現役のさいたま市長や、秩父市長が相次いで負けたのは、まだまだ生々しく記憶の中に生きている。
時代の潮流への無理解、自己への過大な評価、自己を客観視する能力等の欠如がその原因と考えられる。
しかし、なかなか一人の人間がこれ等の能力をすべてもち合わせることは不可能に近い筈だ。だからこそ、歴史上に優れたリーダーは自己を補完する存在として、参謀を同列的配下においた。何も政治に通じた者ばかりを徴用したわけではない。人生に通じた者、人間に通じた者をそれぞれスタッフとして配しておくことは絶対といって良いほど必要なことだ。
総理大臣になったからといって最高級の人間とは限らない。というより、むしろ高級という次元とは違う要素の上に成り立っているというほうが正しいのかもしれない。怖いのは、錯覚だ。知事になったから能力も人より優れているとか、市長になったから人より偉いというこの誤解と錯覚の中で、どれだけの人々が失墜していったかという事実を重要視することは、権力の側にとってもそうでない側にとってもきわめて大切なことだ。
自民党という党一つとっても、この党が今どのような状況にあるのか、はたしてどれだけの党員が自覚しているのだろうか。顔を換えても、表紙を換えても、変わりようのないのが自民党の姿だ。もうこの党は、役割を終えているといってよい。泥船よりも崩壊寸前のビルディングだ。だとしたら、すべて喪失の中からしか新しいものは生まれでないというこの世の摂理に従うべきだ。物事を大局的に観られるものは、客観視できる立場にあるものだけだ。人にも、企業にも、政党にも、いまやそのような人材を発掘することが焦眉の急だと思うのだが。
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