トップページ ≫ 未分類 ≫ 政治家と死~元埼玉県知事 土屋氏への追悼~
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中世にあって一人の王、もしくは将軍が死ぬという事実は、同時に、無数の人々の内面で何者かが死ぬことを意味する。人々にとってその死は、ある時代が死んだ知らせなのだ。「象徴の横死―歴史・暗殺・文学-」小島信一著
35年も前にこんな文章を読んで心に刻み込んでいたが権力を持った政治家の死はいつの世もこうなのだろう。しかし、国政に県政にと、大きな権力を発揮しその名を全国に知らしめた土屋氏ではあったが残念ながらその死はすでに政治家の死としては輝きを失っていた感がある。なぜなら、すでに現役の政治家を退き、その後も決して、政治の舞台の表にも裏にも出ることをせず、ひたすら感謝の日常に徹し続けたことが、その因をなしている。土屋氏ぐらい栄光の頂点から地に降りるのにそのスピードが早かった感がある人はいないのではないだろうか。というより権力者の失墜というものは我々の想像を絶するほどの速さでやってくるものだ。そういった意味で土屋氏もその例外ではなかった。人並み優れたバイタリティーを持って、ロマンと現実の政治家経営者としてのリアリズムのバランスを保ちながら時には恥も外聞も見栄もなく県政のためという現実に妥協の妙を存分に発揮した政治的名人でもあった。土屋氏の功績を数え上げたら枚挙にいとまはない。そのあまりにもするどい直感力と実行のパワーをいかんなく発揮し県民を引きつけ膨大な権力を持ちながらもよく大衆に溶け込み気さくな人柄で埼玉県中に不思議なほどの明光を投げ続けた百年に一度出るか出ないかの政治的達人でもあった。その土屋氏にも彼がまったく予測しえなかった大きな落とし穴に気づいたときにはすでに権力者の終焉の図が彼の人生の前方に寂しい広がりをみせていた。いかに個人差はあるといっても権力者の耐用年数は厳然としてあるのがこの世のおきてのようなものだ。権力から滑り落ちた土屋氏の周辺はあたかも潮が引くように去っていった。土屋氏から限りない恩を受けていたであろう埼玉県の名士と呼ばれる顔や姿が音を立てて土屋氏から遠ざかって行く風景の残酷さを目の当たりに見せつけられた土屋氏の底知れぬ深い悲しみは想像を絶するものがあった。それだけに晩年の土屋氏はどうにもならない鬱勃たる気持ちと人に対する好悪の感情を理性というオブラートで覆いながらも自ら好む人にはより積極的に近寄り、まだ残存していたそれなりに大きな力を恵み与えることを最上の喜びとしていたのは事実だ。また、発揮できずに残存しているあまりある政治へのマグマの方向を後進国への民間外交の旗頭として東南アジア、中近東をかけめぐった。しかし、そのくらいでは土屋氏のエネルギーは燃えつくすにはとても足りなかったはずだ。土屋氏は時々次代をになう志のある政治家を作りたいと口にしていたが氏の尊敬する吉田松陰への想いと憧憬がいつも心の中で燃え尽きぬ炎としてその余熱を保っていたにちがいない。土屋氏の後に知事となった上田氏が土屋氏の功績を称えると同時に土屋県政は結果的には政治不信を招いたとコメントをしたが、いついかなる世も政治家の功罪は相半端するものでありそれが政治家の本質であり宿命なのだ。
土屋氏という偉大な政治家の死は政治家の死としては遅すぎた。だからこそ土屋氏の死によって一つの時代が死ぬことはありえない。ただ、土屋氏の残していった功績は歴史から消え去ることはないだろう。まさに埼玉県の遺産として。ご冥福を祈りたい。
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