トップページ ≫ 未分類 ≫ 土屋氏を偲ぶ ~大海の巨鯨は不滅(埼玉の政界秘話より)~
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「百年に一度しかない政治家」とある人は言ったが、確かに今でもその人気は下がることをしらない。
静岡県の名門、旧制豆洋中学校を出て、中央大学へ。しかし、若いときには相当の辛苦の日々を重ねた。その苦労がすべて身になっていて、大正製薬の創始者で、参議院議員の上原正吉氏の秘書を勤めた。上原氏の奥様が才気活発の女丈夫、土屋前知事の叔母さんである。氏は頭脳だけでなく情の天才でもある。この人は勲一等を受賞していることからも解るように、『環境庁長官』をはじめとし、『自由民主党の参議院の議員会長』、『参議院議長』、『埼玉県知事』、『全国知事会会長五期』などのきらめく要職を見事に勤め上げた。土屋氏が国政と県政で作り上げた実績は枚挙に暇が無い。今日われわれの生活に大きく関わっている埼玉県の新都心を始めとした壮大なプロジェクトは畑県政が練ったものも多いが土屋県政が実績として創りあげた。
土屋氏が自民党埼玉県連会長を務めていたとき、私は自民党第一議員団の事務総長として、幾度か土屋氏と会談をしたことがある。私は土屋氏の人格の高さと人間の大きさをその時ほど痛感した事は無い。土屋氏も私も『自民党を改革していこう!』という点で考えは完全に一致していた。ある時土屋氏が「私は全てあなたの言ってる事が正しいと思います。大いに改革しましょう」と言ってくれた。この言葉は私にとって当時の埼玉県の政治状況から判断すると考えられないほどの大きな衝撃であった。土屋氏は不幸にして、政治的情熱を燃焼し得ない所で知事をやめざるを得なかったことが悔やまれる。しかし、退いてからの土屋氏の人望と力は現職時代と勝るとも劣らない。例えば天皇家からの信望もいまだに厚く、園遊会にも必ず招かれ、また世界各国の政治家、王族とも親交が深く、今でも世界を飛び回っている。そういう中にあっても土屋氏の口癖は「私の心はいつも埼玉にあるんですよ。埼玉県民の人達の心は絶対に忘れませんよ」である。またいつも感心をすることだが、どんなに土屋氏の政敵であった人達にも必ずその葬儀には出席し心をこめてお線香をあげるその姿である。「人間はすべて恩讐の彼方に、ですよ。ぼくはやっぱり人間に大切なものは心だと思いますよ」と私に人の道を説いてくれる。数年前に『埼玉の政治家百人』の企画を土屋知事に相談に行ったとき、「これは埼玉で初めての企画で大変面白い。いくらでも応援しますよ。」と即、協力を約束し、実践をしてくれた。そしてその時の会話の中で「もし私のことがその本に載るのならば、ぜひ上原正吉のこともお願いしますよ。僕の今日あるのはみな上原のおかげなんだから」と言って人間の恩の大切さを教えてくれた。情と知。行動と理論。そして、まめさ。これらにおいて土屋氏の右に出るものは居ないと私は信じている。今、土屋氏を個人的な師として指導を受けている政治家や経済人は数え上げたらきりが無い。土屋氏は自らが最も敬愛する『吉田松陰』の言葉を身を持って実践している類まれなる政治家の達人である。また、ジョークとウィットに富んだ座談の名手であり、スピーチの名人でもあり、氏のスピーチは日本人に無いユーモアを駆使して必ず会場をわかせる。今なお、土屋氏の存在とメッセージ効果は絶大なるものであり、氏の動向は常に政治家たちの指針となっている。大魚は支流に遊ばず、を地でいっている人であることはまちがいない。
このコラムを生前の土屋さんが読んでくれて、大変喜ばれた。“巨鯨ですね。このぼくが。”「エッヘッヘ」と茶目っ気たっぷりで笑った。即妙のシャレもうまかった。「出身大学は?」と聞かれて、「伊豆の田舎から中央の政治家になろうと思って中央大学です」と答えて、周囲を笑いの渦に巻き込んだ。ウィットに富んだ政治家がほとんどいなくなった今日、土屋さんのそれは実にうまかった。行動力も素晴らしかったが、口動力も並みではなかった。頭の回転も素早かった。それでいて、巨きな人だから、まさに大海しか泳がぬ巨鯨だと思った。しかし、いまや帰らぬ人となった。巨星にして巨鯨-もうこういう人は滅多に現れないだろう。
合 掌
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