トップページ ≫ 未分類 ≫ 仕分けて候~仕分け人という不可解~
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連日メディアが仕分け人なるものを報道している。“今まで分からなかったことが分かってよかった”とか“新しい試みでよい”とか、喜んでいる人達がいることも確かだ。
仕分け人と称する人達も大変だ。何の権限もないのにあれこれ言われてしまって。“女性の参議院議員の態度がきにくわない”なんて言われて可哀想な面も多々ある。
そもそも仕分けという意味を国語的に解釈すれば「種類ごとに分けること。区分。区別。」ということに過ぎない。それなのに仕分け人達はあたかも魔女狩りの如く予算作成側を詰問してやまない。あげくのはて、威丈高に「仕分け人全員の合意として、この予算案は全額削減します!」とかなんとか言い張って気分がよさそうだ。区分や区別をすることが仕分けだからこんな権力的な言動が許されて良いのだろうか?宣告を告知される側は戦々恐々だ。伏して“ああ、神様、仏様、仕分け人様”という感じだ。
しかし、仕分け人には何の権限もないのだから、どうしてもこの仕分け人の存在は不可解だ。それこそ予算を使って、何故このような“仕分けて候”というような形をとる必要があるのだろうか。一体、今日まで選良たる国会議員達は予算の様々な無駄について何故さぼっていたのだろうか。決算委員会という制度はどうしていたのだろうか。会計検査院もまた、何をしてきたのか。あってなきがごとき、国会のシステムこそまず糾弾されるべきではないか。
仕分け人の不可解さは逆説的な意味で国会という選良達の怠慢さを浮き彫りにしたのだから皮肉なものだ。官僚が悪いなどというのはたわ言に近い。官僚制度は近代国家の絶対的必要存在だ。それよりも政治家を大幅に減らすことが不可欠だ。優れた政治家が、官僚というシンクタンクを巧みに使いこなすことが政治ではないか。いずれにしても、チルドレンや、ガールズがかなりの数を占める国会にそんなことが出来るはずはないかもしれない。次は小選挙区制などという小物輩出制度をしっかりと仕分けていったら面白い。
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