トップページ ≫ 未分類 ≫ 大相撲と高校野球に見る日本社会の偽善
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大相撲が賭博問題で大揺れしNHKが生中継をやめた。昔の栃若時代は夢中で見たが今の相撲にはまったく興味がないのでNHKの決定はよろこばしい。今の相撲が面白くないのは相撲取りの図体こそ大きくなったが技術的にはむしろ退化しているからである。技術的に退化したのは稽古不足のせいである。稽古が少ないので彼らは時間をもてあます。おまけに給料以外にご祝儀や懸賞金など自由になる相当の金をもっている。あまり知的水準の高くない若いものにこれだけの条件を与えれば賭博に走るのはごく自然なことだ。
(知的水準が高くないと言えば双葉山が安芸の海に70連勝を阻まれた時、師匠格の安岡正篤に「我未だ木鷄足り得ず」と電報を打ったがこの意味を知る現役力士が一人でもいるだろうか。「双葉の前に双葉なく双葉の後に双葉なし」とは単に彼の強さを言ったものではない。二代目若乃花が大関昇進のあいさつの時「堅忍不抜」を「けんしんふばつ」と読んだのを思い出した)。
賭博がそんなにいけないのなら競馬、競輪、パチンコ、競艇、宝くじ、麻雀みんな禁止にしたらいい。そんなことより勝負の根幹に関わる八百長や星の貸し借りがよほど問題だと思うのだが。
国技だの伝統文化だの公益法人だのと言うから文部大臣までしゃしゃり出る羽目になる。プロ野球やプロレス並のただの興行団体にすればいい。その時中継権を買ってくれるテレビ局があるかどうか保証の限りではない。
今また貴乃花がやくざと同席したことが問題になっている。どうせ相撲協会内部で貴乃花に反感をもつ連中のタレコミだろう。メディアがこの問題で大騒ぎすることは協会内部のいやしき連中に手を貸すことを意味する。
人気稼業であれば有象無象が寄ってくる。それを一々「あなたはあの業界と関係がありますか」と問い詰めるか警察に照会しろとでも言うつもりか。
やくざとの付き合いがそんなにいけないのなら山口組三代目にかわいがられた美空ひばりの曲はすべて放送禁止にしたらいい。
そんなことより相撲界もスポーツ医学や栄養学の成果を取り入れ個々の力士の適正体重を割り出してそれを維持させるなど合理的な管理方法を編み出してほしい。
コンプライアンスがやかましく言われる度に検察官OBの就職口が増えると感じるのは僻目だろうか。
夏の高校野球は予選も大詰めを迎えつつある。私は野球が好きだが新聞社が「汗と涙の甲子園」を宣伝するのにはゲンナリさせられる。甲子園球児とその親の多くは大学或いは社会人チーム更にプロ球界から声がかかるのを期待してプレーしている。それを決して否定するものではない。そうしたインセンティブがあるからこそ苦しい練習にも耐えられる。
特待生批判も馬鹿げている。好条件で優秀な人材を集めようとするのはあらゆる組織の自然な行動である。
巨人の長島が大学時代(立教)南海ホークスから小遣いをもらっていたのは有名な話だ。この時小遣いの受け渡し役を果たしたのが立教野球部1学年上のご存知大沢親分。大沢親分が「球界広しといえども長島を呼び捨てにできるのはオレくらいだろう」と豪語する所以である。企業の青田買い同様プロ球団が早くからめぼしい選手に触手を伸ばすのも自然なことだ。
高校野球に戻る。昔甲子園の優勝投手は大成しないといわれたものである。優勝するためには最低でも三連投場合によっては四連投しなければならないので肩肘を壊すことが多いからである。
だが今は強豪校でも複数投手を擁することが多くなり日程も緩和されたのは結構なことだ。そのせいでプロ球界でも甲子園優勝投手の活躍がめざましい。
夏の甲子園と違って出場決定から本番までの期間が長い春の甲子園ではいわゆる不祥事による出場停止が後を絶たない。不祥事は個々の選手の問題であるのにチームの連帯責任を問うためライバル校の陰湿なタレコミが頻出する。「熱血甲子園」が聞いてあきれる。
春の甲子園に出場したチームの監督から直接話を聞く機会があったが、本番までの期間は不祥事が心配でオチオチ眠られないそうだ。
スポーツ界に限らず、何か不祥事がもちあがった時、常にそれ自体よりどういうルートから発覚したのかに注意を払うようにしている。
以上日本社会を覆う偽善の風潮を憂いつつこの拙文をものした。
(ジャーナリスト 青木 亮)
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