トップページ ≫ 未分類 ≫ ポツダム宣言黙殺を「拒否」と訳したのは世紀の誤訳か?
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聞くところによるとある英語学習本(どの本か今のところわからない)で「日本政府がポツダム宣言を『黙殺する』といったのを『ignore(無視)或いはreject(拒絶)』と誤訳されたことが原爆投下につながった。従ってこれは世紀の誤訳」だったと書いてあるそうである。
これを書いた人は「黙殺」発言に至る経緯と文脈がわかっていない。 昭和20年7月26日、日本への降伏勧告であるポツダム宣言が発出されても、日本政府はすぐには公式に反応しなかった。これに対して軍部が「日本政府としてポツダム宣言に対し徹底的に反駁を加え、士気の阻喪を防ぐべきだ」と圧力を加えた。 その結果28日付けの朝日新聞は「政府は黙殺」の見出しで「帝国政府(注1)としては米、英、重慶(注2)三国共同声明は何ら重大な価値あるものに非ず(あらず)としてこれを黙殺するとともに断乎(だんこ)戦争完遂に邁進(まいしん)するとの決意を固めている」と報じた(筆者注:おそらくソースは内閣書記官長迫水久常(注3)と思われる)。この段階では政府の公式声明はまだない。
その二日後、首相鈴木貫太郎は内閣記者団の質問に答えるかたちで、 「私は、三国共同声明はカイロ宣言(注4)の焼き直しと思う。政府としては何ら重大な価値あるものとは思わない。ただ黙殺するのみである」。多分鈴木の頭には二日前の新聞記事がありそれによく似た表現になったのだろう。鈴木は後であれは「『ノーコメント』くらいのつもりだったと言っているがこの文脈でそう解釈するのは無理がある。当時の外務大臣東郷茂徳の戦後の証言;
(日本政府としてはしばらくポツダム宣言に対する意思表示はしないと決定していたにもかかわらず)翌日の新聞に日本政府は黙殺するという記事がでた。それで自分は閣議決定、戦争指導会議の話ではしばらく意思表示をしないというのであって、黙殺するとは非常に違うとやかましく抗議した。以下略 以上東郷の証言。
ここから東郷の認識でも「黙殺」とは「ノーコメント」とは違って拒否のニュアンスを含んでいると感じていたことがわかる。(なお東郷は海軍大臣米内光政とともに8月15日の降伏に向けて大きな役割を果たした)。 こうした経緯と文脈の中で「黙殺」を「ignore(無視)」或いは「reject(拒絶)」と訳すことが果たして誤訳と言えるだろうか。
以下いずれも筆者による。
注1:戦前日本の正式名称は「大日本帝国」。よくぞ「大」なんてつけたものだと言ってはいけない。今でも朝鮮海峡の対岸に「大」の付く国がある。
注2:蒋介石政府のこと。当時国民政府は南京陥落後武漢を経て重慶に遷都。
注3:現在の内閣官房長官に相当。但し当時は閣僚ではなかった。
注4:ポツダム宣言に先立ち日本の降伏条件等を定めた米英中三国共同宣言。
(ジャーナリスト 青木亮)
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