トップページ ≫ 未分類 ≫ 日本の降伏は無条件か有条件か?
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以下は拙文「小林よしのり戦争論批判」から抜粋
そもそも日本の知識人やマスコミは、どういうわけか必ず「第二次世界大戦で日本は連合国に無条件降伏した」と書く。まったく歴史に対して無知なのだ。日本政府は無条件降伏などしていない。 小林よしのり「戦争論3」 P55、56
青木コメント;確かにポツダム宣言には「全日本軍隊の無条件降伏」という文言はありますが「日本の無条件降伏」という文言はありません。
これについては無条件降伏であったとも言えますし、有条件降伏であったとも言えます。同宣言の第六項から第十一項までを条件と言えないこともありませんが、それは日本と交渉した結果ではなく連合軍が一方的に決めたいわば占領方針です。同時にこれに拘束されるのは日本だけであって連合軍側は必ずしも拘束されないと意識されていましたから対等の契約関係とは言えません(しかも第五項で、条件について日本と交渉の余地はないと明言しています)。それを日本は無条件で受諾したのですから無条件降伏と言えなくもありません。ポツダム宣言受諾電報は二度発信されていますが、8月10日に連合軍に対し最初のポツダム宣言受諾を発信する時、天皇の地位について確認を求めています。それは天皇の地位は保全されるという当方の理解に間違いはないかという照会であって条件交渉とは言えません。(この照会のため日本の降伏は4日遅れました。これがなければ日本の敗戦記念日は8月15日ではなくて8月11日になっていたはずです。
またポツダム宣言に先立つカイロ宣言では「日本の無条件降伏」という言葉が使われています。そしてポツダム宣言第八項で「カイロ宣言の条項は履行されなければならない」となっていますから、無条件降伏であったという論法も成り立つかもしれません。それに対しては、ここにいう「カイロ宣言の条項」とは日本降伏後の領土に関する部分だけを指すという反論も可能でしょう。
参考までに当時の外務次官松本俊一の手記を引用しておきましょう。「無条件降伏ということは多少言葉の遊戯に属するもので、いよいよ講和となれば必ず一種の交渉を必要とするのであるから、従来軍隊同士の戦闘で使われてきた無条件降伏という言葉にさほどとらわれる必要はない」。
松本は日本の降伏が無条件降伏であったと一応認めた上で、そのことにはあまりこだわる必要はないと言っています。このように肝心の外交の責任者も無条件降伏であったと認識していましたから「まったく歴史にたいして無知」なのはどなたでしょうか。
ただ、GHGが最初、軍政を布こうとしたのを、「ポツダム宣言は日本の主権の存在を前提としている、従って軍政を布くことはポツダム宣言を逸脱するもので日本の受諾したところではない」と言って、ポツダム宣言を根拠として敢然とGHQの軍政を退けた外相重光葵の功績は長く讃えられるべきでしょう。
問題は、当事者、取分けGHQがポツダム宣言の『条件』を、どれだけ実質的にGHQを拘束するものとして認識していたかどうかです。GHQは「条件」を無視して最初直接軍政を布こうとしたのを重光の指摘によって思い出したわけです。外相が重光でなければそのまま泣寝入りになった公算は高いと思います。
参考
アメリカ政府からの「ダグラス・マッカーサー元帥宛の指令」(太字は筆者による)
一項 前略、われわれと日本との関係は契約的基礎の上に立つものではなく、無条件降伏を基礎とするものである。後略。
二項 日本国の管理は日本国政府を通じて行なわれる。但し、これはそのような措置が満足すべき成果を収める限度内においてとする。このことは、必要があれば直接に行動する貴官の権利を妨げるものではない。後略。
三項 ポツダム宣言の中に述べられている声明の意図(注)は完全に実行されるものとする。しかしそれは同文書の結果としてわれわれが日本に対して契約的関係にあり、これに拘束されると考えるからではない。後略。
注;「声明の意図」と言って「条件」という言葉をことさらに避け、日本と連合国とは対等の契約関係にあるとする解釈を排除しています。
この問題は昭和53年江藤淳が「日本は無条件降伏したのではない」と言い出してから今に至るも小林よしのり初めその尻馬に乗る人が絶えませんが以上書いた通り江藤の主張はあまり意味がないと考えます。
(ジャーナリスト 青木亮)
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