トップページ ≫ 未分類 ≫ 名栗川畔の名会席・清河園を経営 増岡利和さん
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「もてなす側が楽しくないと、お客様も楽しくありません。美味しい料理やコスト・ダウンの追求、作業の効率化。全てはお客様の笑顔のため。プラスのベクトルをスタッフ全員で共有していこうと心がけてきました」
飯能・名栗川の清流沿いにたたずむ会席割烹・清河園を経営する増岡利和さん(59)は言う。
「失われた20年」が続く中、とくにここ5年間ほど、増岡さんは、仕入れ面では聖域を一切つくらずに高品質で、なおかつ少しでもコストダウンできる方法を模索してきた。安価な仕入れ先を見つけることでコストダウンできた分を、今までよりもワンランク高い素材に引き上げることもできる。それがさらなる顧客満足度に結びつく。そのためには、しがらみを作らないことが重要になる。
一方で、最新の調理機を積極的に導入し、単純作業については大幅に効率化を図る。できたて料理を温かいまま饗することは、プロの務めだ。こうした調理器なども利用して、仕事の平準化にも力を注ぐ。この業界では季節感の仕事量に極端な差異が出てきてしまうが、仕事の平準化は経営の効率化に大きく寄与できる。それが、またサービスの向上につながる。プラスのサイクルを徹底すれば、お客様の一層の満足度アップに結びつくのだ。
また、宴会後の帰宅手段がネックとなっている状況を考え、いち早く送迎バスを導入したことも奏功した。いま、清河園は飯能だけでなく周辺部30〜50万人ほどの商圏を想定できる。飯能一円の「非日常的な会食空間」を代表する存在と言える。
大学を卒業後、有名ホテルに就職が内定していた増岡さんは、父の大病が理由で急遽、家業の清河園を手伝うことになった。当時は、割烹旅館というスタイルで、名栗川沿いの景勝地でもある清河園周辺には4軒の割烹旅館が軒を連ねていた。
バブル期、人々の需要モードの変化を感じ取った増岡さんは、モデルチェンジを考えた。「それまで宴会需要メインで敷居も高かったんです。女性グループがちょっと小洒落たランチを楽しめるような個人消費ニーズにフォーカスした会席レストランを考えました」
それが、蜻蛉亭だ。オープンしたのは、1992(平成4)年。すでにバブルは崩壊してしまっていた。だが、増岡さんの「女性客を取り込もう」という意図は成功した。感度の高い女性たちによる口コミ利用や、その旦那さんたちの利用も広がっていく。
たまたまバブル崩壊期のオープンになってしまったが、増岡さんは逆に好機と捉え仕入れ・経理などもきっちりとマネジメントし、需要に応じた再投資にも積極的に取り組んだ。その間、本館は何度かリニューアルを重ね、旅館は廃止した。時代は変わり、名栗川沿いに4軒あった割烹旅館は廃業し、現在ではモデルチェンジに成功した清河園ただ一つとなった。
増岡さんは、7月、新たに清河園に別館を新築オープンさせた。団体利用の需要が伸び既存施設では対応しきれなくなっていたのだ。別館は80人までの団体利用にも対応できる。
「別館の計画を立てたのは、3年ほど前。そして、2年前にはリーマン・ショック。蜻蛉亭と同様に、荒波の経済状況の中でも発進となりました。しかしながら、スタートはまずまずです」
埼玉の食文化を支える旗手。今後の活躍にもますます期待が持てそうだ。
〈プロフィール〉
1951年飯能生まれ。立教大学観光学部卒業後、1974年大野屋清河園入社。現在、株式会社大野屋清河園代表取締役。
清河園・蜻蛉亭の公式webサイト http://www.seikaen-tonbotei.jp/index.html
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