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De São Paulo para Japão-Saitama- Report サンパウロからさいたまへ 第6回
下村政裕
第6回は、第5回に引続き、広大な国土を持つブラジルについて、5つの地方別に紹介をいたします。
北部地方
ここは、皆様良くご存知の、アマゾン地域が位置する地方です。
北部には、赤道が通っており、北半球と南半球をまたいでいます。
アマゾン地域は、「世界の肺」とも言われ、日本の約12倍もの広さがある大密林地帯です。
ボリビア、ブラジル、コロンビア、エクアドル、ペルー及びベネゼエラなどの諸国に広がり、そのうちの70%がブラジルに属します。
主な都市としては、アマゾナス州のマナウスやパラ州のべレンがありますが、双方とも、人口が150万人、120万人という大都会です。
マナウスは、アマゾン川河口より約1,700キロ上流に位置し、その歴史は、19世紀末の一大ゴムブーム時代に始まります。
以来、アマゾン内部の経済、交通および流通の中心都市として発展してきたアマゾン地域最大の都市です。
アマゾン観光の中心地としても有名であり、また、免税都市に指定されているため、ホンダやヤマハほか、各国、有名企業の工場が進出しています。
一方、ベレンは、アマゾン川の河口に位置し、北ブラジルの重要な港町で、その歴史は、15世紀初頭までさかのぼります。
北東部地方
この地方は、大西洋海岸部を中心に開かれた地方で、ブラジルという国の発祥地という顔を持つ地方です。
すなわち、1500年にブラジルが発見され、ポルトガル人のペドロ・アウバレス・カブラウが最初に上陸した地が、この地方にあるバイーア州のポルト・セグーロで、ブラジルで最も古い居住地が作られた地とのことです。
また、バイーア州の州都であるサルヴァドールは、リオデジャネイロに1763年に遷都されるまで、1549年から、約200年余り、ブラジル最初の首都として栄えた都市です。
更に、サルヴァドールは、砂糖によりその繁栄を支えられたともいえ、サトウキビ農園の労働力確保を目的に、1570年代から、たくさんの黒人がアフリカから連れてこられています。
ちなみに、2000年にブラジルを訪れ、帰りに経由地であるN.Y.のエリス島に立ち寄ったとき、アフリカから連れてこられた黒人の総数は、ブラジルの方がアメリカ合衆国より、はるかに多いということを知り、かなりびっくりしました。
中西部地方
完全に内陸に位置するこの地方は、なんと言っても世界有数の大氾濫原、パンタナールが有名です。
お恥ずかしい話ですが、自分は、もちろんアマゾンは知っていましたが、こちらに来るまで、パンタナールについては、その言葉すら知りませんでした。
日本の本州とほぼ同じ面積を持つパンタナールは、ブラジル、ボリビア、パラグアイの三国にまたがり(ブラジル領内は約2/3)、アンデス山脈とブラジル高原に囲まれた標高80m~150mの低地です。
周りの山地を水源とする大小の河川がたくさん流入し、勾配がほとんど無く(1cm/km)、流れ出す河川が限られているため、雨季には、この広大な平原の大部分で氾濫を起こし大規模な湿原と化すそうです。
この毎年の自然の営みにより、豊かな生物相を育み、動植物の種類の多さでは、あのアマゾンをはるかにしのぐそうです。
さて、この地方のもうひとつの顔は、首都ブラジリア。
標高1,000mを超えるブラジル高原に位置する、過去を持たない人工都市です。
そしてこの高原の別名がセラード台地。
首都ブラジリアから、アマゾン川にかけて広がる広大な台地で、日本の約5倍の広さがあります。
かつては、強酸性の紅い土壌の台地であるところから、「不毛の台地」といわれていたようですが、現在では、日本の援助などで開発が進み、ダイズやコーヒーなどが生産されています。
特にダイズは、このセラード開発により、ブラジルは、アメリカをしのぐ世界一の生産国と今やなり、今後、更に開発が進めば、このセラード地域だけで、10億人分の食糧をまかなうことができるとの試算もあるようです。
ブラジルの「でかさ」が、ここでもおわかりいただけると思います。
南東部地方
この地方の、大部分は、山岳地帯です。
ブラジルで一番、発展をしている地域で、南米1の大都会、サンパウロ大都市圏やサントス都市圏、ブラジリア遷都まで約200年間に渡って首都であった世界的な観光地、リオデジャネイロなどがあります。
そして、この地域の内陸、すなわちミナス・ジェライス州に目を移せば、1690年に金鉱脈が発見され、18世紀中ごろまで、ヨーロッパを中心に一攫千金を夢見た人々がたくさん集まり、ゴールドラッシュに沸いた、今は、緑豊かで、静かなたたずまいの古都がいくつかあります。
歴史を紐解けば、17世紀末の砂糖の国際的な価格の下落により、一気に北東部、バイーア地方から、人の波がそして経済の中心が、南東部のこのミナス・ジェライス州へと移動したそうです。
しかしながら、大金を実際に手にできたのは、一握りの人達で、ここでも、黒人奴隷が、多くの血と汗を流したようです。
18世紀末になると、金も掘りつくされ、徐々にこのミナス地方は、衰退していきましたが、リオデジャネイロやサンパウロでコーヒーの栽培が盛んに行われるようになり、やがて、ブラジルの経済は、コーヒーの時代へと移っていきます。
そして、時も、奴隷制度の廃止と重なり、多量の労働力を必要とするコーヒー栽培の労働力確保として、移民政策がとられるようになりました。
現在、ブラジル人として暮らす日系の方々は、世界最大の150万人に及ぶといわれており、その70%が、この南東部地方で生活の糧を得ていることを思うと、奴隷に取って代わる労働力として移民されてきた先代の方々の、大変なご苦労があって、今のこの日系社会があるのだなと強く感じずにはいられません。
いずれにせよ、奴隷や移民が支えたゴールとラッシュからコーヒーの時代が、貿易港としてのリオデジャネイロやサントス、そしてサンパウロ大都市圏を育んできたという見方もできるんだなと思います。
ちなみに、今でも、ミナス・ジェライス州では、ダイヤモンド、トパーズそしてプラチナなどの鉱石がたくさん産出されており、ブラジル国内で売られているほとんどの宝石は、ミナス・ジェライス産ということです。
南部地方
最後に南部地方ですが、文字通り、ブラジルの最南端に位置し、サンパウロ州の南側に位置し、西側がアルゼンチン、南側がウルグアイとの国境で、東側は、大西洋の海岸線で囲まれた、5つの地方では、一番狭い面積を持つ地方です。
地勢的には、標高1,000m以下のなだらかな丘陵地帯で、6月から8月の冬季には、セーターやコートが必要なほど、冷え込むところもあります。
また、ブラジルでは珍しい、雪が降るような場所もこの南部地方にはあるようですが、それでも、全体的には、温和で乾季の無い過ごしやすい気候のようです。
大西洋沿岸に目を向ければ、年間平均気温が20度を超えるような、温暖な気候に恵まれた、内外でも人気のあるビーチが多数あり、毎年、サーフィンの全国大会なども開かれる観光スポットでもあります。
この地方が狭いながらも有名なのは、なんといってもイグアスの滝があるからです。
イグアスの滝は、アルゼンチンとブラジル国境とにかかる滝で、カナダ、アメリカ国境のナイアガラの滝とジンバブエ共和国とザンビアとの国境のヴィクトリアの滝と並んで、世界三大瀑布の一つです。
アメリカのルーズベルト大統領夫妻が、イグアスの滝を訪れた際、ご夫人が「かわいそうな私のナイアガラよ」と言った話が有名なようですが、実際そのスケールを比べてみると、ナイアガラは、カナダ滝が落差53m、幅670m、アメリカ滝が落差21mから34mで幅260m、ブライダルベール滝 が落差55m、幅15mであり、ジンバブエ共和国とザンビア国境のヴィクトリアの滝は、落差が108mで、最大幅が1,700mということです。
これに対して、イグアスの滝は、落差こそ80mと他の滝と比べても同等規模ですが、その幅は約4kmで、大小約300の滝が、段をなして連なっており、他を圧倒しているといえます。
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