トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 「江戸は町人が主役の時代だった」 外交評論家 加瀬英明
外交評論家 加瀬英明 論集
日本では江戸時代を通じて、270年にわたって平和が保たれた。泰平が3世紀ちかく続いた国は、世界のどこにも例がなかった。
それだけではない。江戸時代は庶民の活力を、いっぱいにまで引き出した。
江戸時代といえば、士農工商の身分制度のもとで、両刀を帯びた武士が闊歩して、庶民が抑えつけられていたというイメージが強い。士を除く民が庶民、あるいは民庶と呼ばれた。だが、町人は経済力で武家を圧勝した。
庶民は被支配階級のはずだった。しかし、実際には、被支配階級が支配階級よりも、豊かで自由な生活を享受していた。そのような国は、世界のなかで日本の他になかった。
3世紀近く平和が続いたことによって社会が安定し、武の時代から文の時代へ移行した。それと平行して経済が発達し、武士も町人も商品経済と貨幣経済に巻きこまれていった。
あげく庶民のほうが、物心とともに豊かな生活を営むようになった。町人達は、商いに励んだ。
庶民のうちで工と商に身分が分けられていたが、そのあいだに区別も差別もなかった。農民も工商を兼ねた家が多かったし、繁栄する経済の恩恵にあずかっていたからである。
庶民は武家に屈従していたわけではなかった。経済が発展して町民が力を増すにしたがい、庶民が主体となった社会が生まれた。町民は経済の担い手となり、独自の意識を持って胸を張って生きた。
江戸時代は武家の時代だったとひろく思われているが、大きな誤解である。じつは町人の時代であり、町人の天下だった。武士は気位が高かったが、しきたりに縛られ、決められた家禄でやりくりするしかなく、町人のほうがはるかに活力に溢れていた。つまり時代の変化についていく適応力で、町人が勝っていたのである。
幕府も大名も米穀による石高ではなく、貨幣に依存するようになっていった。だが、富が町人の手に集まったので、財政を運営するために、商人から借り入れることを余儀なくされた。
こうして町人優位の泰平が270年間も保たれたのは、幕藩体制による支配が緩やかだったからである。外からも内からも幕藩体制を脅かす有力な敵がいなかったから、支配の大枠に背かないかぎり、権力が学問や文芸について関心を向けることが少なかった。
身分制度はあっても、日本はもともと優しい社会だった。その優しさは、穏やかな気候風土によって育まれ、日本民族が古代から持ち続けていたものだった。
(徳の国富論 1章 徳こそ日本の力より)
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