トップページ ≫ 地域情報 ≫ さいたま史 ≫ さいたま新歴史考~武蔵国汚名論(1) 小林 耕
地域情報 …さいたま史
埼玉県は古代、胸刺(むさし)、牟邪志(むざし)、牟射志(むざし)、无耶志(むざし)と国名が表示されていた。
ところが大宝元年[701]に大宝律令が完成し、唐の律令を手本とした律令政治が始まり、旧態一新が進められた。その律令制度に従って我が国は62国に分けられて、その国の下に郡と、郡の下に里が置かれることになったのである。
その後各国は、国、郡、里[郷]、そして地名には漢字二字の、めでたい字、好い字を選んでつけるようにと、和銅6年[713]5月2日の政府の好字令により、それまでの表記の見直しを求められたのである。
たとえば科野国阿曇郡は信濃国安曇郡と書き改められている。この結果、927年完成の『延喜式(えんぎしき)』[律令制度の細かい部分を規定した諸規約]によると、大宝律令制定より200年後ということもあり、国は73ヵ国、その下の郡は576郡に増加している。しかしながら国名、郡名において2字以外の3字の使用例は1件、薩摩国の鹿児島だけである。いかに好字令が各国に受け入れられたかを物語っている。
ところが、胸刺や牟邪志から武蔵への表記変換がどう好字になっているか、私には分らない。確かに武蔵坊弁慶や宮本武蔵・戦艦武蔵・横綱武蔵丸などのイメージからすれば、武蔵には「強力」という意味が感じられる。
しかし武蔵は「たけぞう」と読めても、「むさし」とどのようにしたら読めるのかが分らない。先の『延喜式』の中で、上総国(かずさのくに)[千葉県]の郡に武射(むさ)があり、武を「む」と読むのには問題はない。
『延喜式』より前、9世紀後半の成立とされる『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』の<国造本紀(くにのみやつこほんぎ)>の中の相武(さがむ)国造について、武刺(むさし)国造の祖神伊勢都彦命(おやかみいせつひこのみこと)の三世(みつぎ)の孫(まご)の弟武彦命(おとたけひこのみこと)であると書かれている。常識的にはこのように「むさし」は武刺と表記するのが当然であろうが、好字となると「刺」の字には難点がある。
「刺」の字義は、「つきさす、さし殺す、せめる、刃物で傷つける、ぬいとる、いれ墨をする」のように、穏やかではない。しかし「蔵」に変換するにもその字義は、「おさめる・しまっておく・かくす・倉(くら)」などで、「刺」とは共通する意味を持たない。それに読みは「ソウ・ゾウ・くら」、で「さし」の読みがでてこないのである。
こじつけでもいいとなると解決出来ないこともない。『古事記』では武蔵は无耶志となっている。无(む)とは「ない」という意味で無に同じである。また耶はもともと邪の牙を耳に書き誤った字で、「わるい・正しくない」の意味のある邪の俗字である。
そこで同音同意となる無邪志に无耶志を変換すると、意味は「わるい心がない」となる。つまり当時の大和朝廷に対して従順であることを示すのである。そう考えると、おそらく最初の胸刺から无耶志への国名変更は、大和朝廷への恭順の意思表示とみていいだろう。
ところが好字令により国名を二字にしなくてはならなくなった。この時武蔵という国名を考え出したのは朝廷であったとみる。この頃の武蔵は朝廷から反朝延勢力とみられていた節があるので、好意的は命名ではなかろう。(つづく)
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