トップページ ≫ 文芸広場 ≫ 雪んこの“前を向いて走ろう♪”『東京マラソン日記』
文芸広場
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この地に立つのは3年ぶりである。
3年前の挑戦は10キロであった。今日はその4倍以上だ。テーピングをした膝が
大丈夫、頑張ると言ってくれているようだ。痛みはない、最高のコンディションだ。
マラソン日和とは言えないが、この待ち時間の寒ささえなければ風もなく、ランナーにとって申し分のない天気だ。
9時10分のスタートを待つランナーたち。
音楽を聴く者、グループで写真を撮る者、知らない者同士で会話する者、ウォーミングアップをする者、待ち方も様々である。
ただ一つ、ゴールにかける想いは皆同じであろう。
花火の音とともに歓声が沸く。待ちに待ったスタートの時間だ。
前方が少しずつ動き出す。
これから長い戦いの始まりだ。というよりお祭りの始まりといったほうがふさわしいかもしれない。
まわりを見渡すと鬼、ダルマ、サザエさん、スカイツリー、ジョセフさん・・等、思わず緊張どころか笑ってしまう光景だ。
DJTAROの声を聴きながら、石原都知事に手を振り、スタート地点を後にした。
ランナーたちは我先にとスピードを速める。それにつられたのか相棒の足も速まり私の一歩前を行く。
「ちょっと待って速いよ」私の声で相棒が足をゆるめる。
「あんなに急いだら後半ばてるよ。後半に少しでも余力を残すようにゆっくり走らなきゃ、マイペースマイペース」
三年前のハーフマラソンの苦い経験が私の足をとめている。
流れにまかせて行ったのはいいが、後半バテバテだった姿が今も脳裏に焼付いている。
(人は経験から学び学習しなくてはならない・・とりあえず学習能力だけは身につけているようだ。)
そんな話をしていると、隣に並んだ男性のような女性?に声を掛けられた。
「みんな飛ばし過ぎよね」
スマホ片手に紫色のかつらを気にしながら話しをしている彼女のタスキには、名前とニューハーフの文字が書かれていた。
しばらく話をして並んで走った。これもなにかの縁である。彼女の店の名前を聞き、今度いくと約束をしてさよならをした。
新宿から飯田橋を通り、皇居、そして日比谷に入る。ここでは10キロのゴールがある。
3年前爽やかなゴールを遂げたことを思い出す。
あれから3年、ジム、水泳、過酷な練習での腰の故障、そして1年のリハビリ通い、
復帰後の加圧トレーニング、これまでの3年間が頭をよぎる。
そんなとき、「がんばれー!」と大きな声援が聴こえた。
元マラソンランナーの有森裕子さんだ。体全体からしぼり出すその言葉に感謝と感動を覚えた。
しばらくいくと徳川秀忠のお墓でお馴染みの増上寺だ。
まだ景色を楽しむ余裕があった。相棒と時間を気にしながら時計に目をやる。
15キロの関門には間に合うが、あまり余裕がないので少しピッチをあげることにした。
ここにきて膝ではなく、左太股が痛みだす。
腰を故障してからというものこの股の痛みには悩まされてきたが、
ここ最近は痛みもなく順調であった。(痛みはそのうち麻痺するから大丈夫。)
幸か不幸かこんなときにもよからぬポジティブ精神があるものだ、今は幸としよう。
国道1号線の品川を折り返し、東京タワーを左手に眺めながら、その景観の美しさに息をのんだ。
大都心ならでは壮大なロケーション。立ち止まり写メを取りたい心境をおさえて走り続ける。
大舞台、憧れの銀座に差し掛かる。そこには、他にも増して一際大きな声援があった。
その中に私の会社のなでしこたちの笑顔も並んでいた。
私も笑顔でこたえる。 なでしこたちとのハイタッチでエネルギーをもらい、さらにパワーアップしてまた走りだす。
(皆さんありがとう)
憧れつづけた銀座、ここを走れる喜びを深く噛みしめる。
日本橋から浅草にむかう。
このあたりから太股の痛みが両足になり、その痛みもかなりの強さが増す。さすがに痛いと口にしてしまった。
顔からも笑顔が消える。
苦しい・・・。1キロずつの看板が練習の1キロの倍以上に感じた。
水天宮あたりだろうか、耳をすますとバンドの「負けないで」の音楽が聴こえてきた。
「負けないで、もう少し、最後まで走りぬけて・・・」
苦しかった想いが感動へと変わり、じんわりと汗ではないものが込み上げてくる。
そう、痛みはみな同じ、がんばろう!自分を自分で励ます。
ようやく浅草に到着。
相棒が「いとうあさこ」をみつける。なにやら中継のようだ。
私は気づかずに沿道の人からいただいたマドレーヌを口にほおばる。(腹が減っては戦ができぬ)
しばらく浅草、人形町、銀座と来た道を折り返す。
なんと長い道のりなのか改めて実感する。
この辺りから周りの景色を見ている余裕がなくなった。
あとは気力との勝負だ。 歩いたところで痛みは一緒 、ならば走ろう。
ランナーたちの辛さに気付いてか沿道から「辛いときこそハイタッチ」 と声が聴こえた 。
半信半疑でハイタッチをしてみた。たしかにハイタッチをするときに笑顔になる。
その笑顔がエネルギーとなるのであろう。そして相手からもエネルギーをもらえるのだ。
また気力ポイントがアップした 。
このまま駆けぬけよう! そう決意した35キロ地点。
「トイレにいきたい」と相棒がいう。
なんと今決意をしたところではないか ・・・。
先にいく、待って一緒にゴールする。とっさに判断を迫られた。
「38キロの関門まで行って待ってるよ」3キロ先まで行って待つことを選んだ。
今回の目標はタイムでなくて完走だ 。
9月から走りに付き合ってくれた相棒と完走できてこそ喜びではないか ・・そう心に言い聞かせゆっくり前に進む 。
少し速度を落としたせいで、心なしか余裕ができた 。沿道の人のメッセージをかいた紙が目に映る。
「なんでエントリーしたのか?」「ドMな諸君がんばれ 」の文字、「確かにそうだ!」と声をもらす。
そこへ、かもめ集団がやってきて私を追い越した。群れから取り残されたかもめを呼び止め声を掛けた。
「かもめさんはなんの集団なの?」「国体のピーアールで都の各区の職員なんです」とそのかもめさんは答えた。
たしかにいいピーアールだ。感心しながら声援をおくった。
時間をかけてやっと38キロの関門にたどりつく。
お昼の日本テレビの番組「ヒルナンデス」のレギュラーの「ローラチャン」が通り過ぎていく。
辛そうな顔で力をふりしぼって走っている姿に心を打たれた。 思わずがんばれと口にする。
( あなたこそ止まってないでがんばれよと人には映ったであろうが・・・汗)
しばらくして相棒が苦しい表情を浮かべてやってきた。(良かった、諦めず走ってきた。)
「あと4キロで終わるよ。苦しいのはみな一緒がんばろう」と相棒を励ます。
( 走ってきた相棒のが辛かろーに)
さぁ!ラスト4キロ! 気合いをいれる。有明地区だ 。何度かテレビで観たポイントだ。
歩いている人がけっこう目立ってくる。
そしてこの1キロの長さがこれまた練習の10倍に感じた。
後ろを気にしながら相棒より少し前をいく。 相棒は必死についてくる 。
苦しい表情をする相棒。
私の足の痛みもピークに達していたので、また沿道の人たちからハイタッチエネルギーをもらった。
残りの道のりは坂が多い。体力がなくなっているすべてのランナーにとってはもっとも過酷な道のりだ。
でも42、195キロがあとわずかで終わるのだ、ゴールは目前、がんばろう!そう自分と相棒をさらに励ます。
写真撮影ポイントが何度も何度もあった。そこでは笑顔にならなくてはいけない。
苦しい表情の写真なんて撮られたくない!そんな強気な私の笑顔がこわばる。
「ゴールはまだ?」何度もその言葉が繰り返すがいっこうにフィニッシュゲートが見えてこない。
最後のたった1キロが痛く重い足を苦しめる。
痛い足をなんとか動かしながら、最後の力をふりしぼり走った。
「もう少しだ、がんばれ!」沿道でだれかの叫ぶ声が聴こえる。
ゲートが見えてきた。「やったー!」と声をだすと相棒が即座に言う。
「ゴールじゃないよ、あと195メートルだよ」
喜びも束の間、なんと紛らわしい42キロのゲートだ。
しかし、あと195メートル。気持ちを切りかえゴールめざして走り出す。
本当のフィニッシュゲートが見えた。やっと長い戦いが終わる。
苦しさから嬉しさにかわる瞬間だ。走りが不思議と楽になる。本当の笑顔を取り戻した。
そしてゴール!相棒と手を高く上げ、笑顔でフィニッシュゲートをくぐった。
その瞬間私の挑戦が終わった。そして成し遂げた。
有森さんがメダルをとったときに言った言葉を思い出す。「自分で自分をほめてあげたい」
今の私も同じことを想う。「よくがんばりました」と・・・。
足の痛みは最高潮で曲げることも困難であったが、心の満足度も最高潮だ。
また私を応援してくれたすべての人に感謝の気持ちを贈りたい。
そして目標にむかって努力を重ねていけば何でもできるという強い自信を持つことができた。
さらなる挑戦の旅が幕をあける・・・。次は3776メートルの富士山だ!
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