トップページ ≫ 文芸広場 ≫ 県政の深海魚(13)「知事対副知事」
文芸広場
俳句・詩・小説・エッセイ等あなたの想いや作品をお寄せください。
知事選が始まっていた。
鏡はいつになく厳しい口調でマイクを握った。
「今度の選挙は断じて負ける訳にはいきません。私の女房役にまさか戦いを挑まれるとは思ってもいませんでした。飼い犬に腕を咬まれるとはこのことです」
鏡の演説は充分に説得力があった。鏡への同情と、保守党の理不尽な候補擁立に世論は大反発した。結果は火を見るより明らかだった。
終盤、牧田から秘書課長の隅田に電話があった。
「隅田君、大丈夫だ。私の計算通りだ。知事に伝えておいてくれ。もう百パーセントと言ってもいいな」
牧田の声は耳を疑いたくなる程、明るかった。
「全て牧田先生のお陰です。当選のあかつきには今まで以上に、先生のためにご協力させて頂きます。ありがとうございます」
政治的洞察力に秀でた隅田は必要以上に慇懃な返礼をした。
(奇々妙々な世界だな・・・)
大学時代文学に没頭した隅田は人心を読む才にも長けていた。
時代の奔流についていけなくなった岩木は全くその影響力を失った。むしろ嘲笑さえされた。
また牧田はその責任をとって団長と県連の重職を自ら辞した。
(この際政治的地位は一歩退いておいて鏡としっかり裏で組んでおけば万々歳だ。)
牧田は県会議事堂の保守党県議団室から、遥か県北の山々を見つめていた。
(参議院の芽も市長の芽もあるな・・・)
その夜、牧田は久しぶりに妾宅を訪ねた。
一方、千曲の保守党内での地盤は強固なものとなった。千曲の予想通りだった。
「あんなに、党のためにS県中を動きまくった男はいない。保守党の鑑だ」
党員達の胸に〝千曲徹〟の三文字は深く刻み込まれた。 千曲は満足だった。
「松浦は貧乏くじを引いただけだよ。これで良かった、なあ、おい、よっ」
配下の県議達の肩を千曲は一人残らず揉み歩いた。
牧田は党の重職を一応退いて、院政を敷こうと思っていた。当然、弟分の千曲も牧田に従ってくると信じていた。
しかし、そんな牧田の思惑に反して、千曲は自分の勢力の拡大に余念がなかった。そして、牧田と千曲の師弟関係は微妙なものになって行った。それは自然の成り行きだった。
牧田が以前のように千曲を誘っても、何かと理由をつけて千曲は牧田の誘いを断った。
千曲は秘書課長の隅田を自宅に呼びつけた。
「おお、ご苦労さん。こんな田舎のK市までな」
まずは労いのふりをした。
「あのな、今度から、議会の度に、担当部長や課長を俺の家へよこしてくれや。それでな、ちゃんと議案の説明をしてくれやな、課長さん。知事さんにその旨、よーく伝えておいてくれや、な」
厚い眼鏡の奥に、まむしが鎌首をもたげて狙っているような幻覚を隅田は確かに見たと思ってしまった。
(圧倒的多数を握っているのは保守党だ。そして保守党を束ねているのは、この俺なんだぞ、わかったか!)
明らかに千曲の眼鏡の奥はそう伝えていた。
秘書課長の隅田は逃げるように県庁に帰った。
「まあ、そんなことだろうと思ったよ」
知事の鏡は顔に比して大きな鼻の頭を握るようにさすった。
「代表者会議や、議会運営委員会、いくらでも説明の場はあるんですがね」
困惑しきった面持ちで隅田は知事の顔色を覗った。
「千曲君のやりそうなことだよ。民主主義は多数だ。どうしようもないな。多数の良識ってものはないね。多数の暴力だな。それも一人の暴君のな」
いかにも革新政党の出身らしい言葉で鏡は隅田を慰めた。
県庁幹部のK市詣が始まった。
分厚い資料が公用車に積まれた。朝の七時にはK市の千曲邸に着かなければ怒鳴られた。怒鳴られた部長は生きた心地がしなかった。
(俺の前途はもうない・・・・)
失意のどん底にいると、千曲からお茶が届けられた。
千曲からの電話が鳴った。
「よう、昨日はちょっと、悪かったな。俺はね、あんたを一番買ってるからな。だからわざとあんたを叱ったんだよ。わかってんだろう」
部長は耳を疑った。
(なーんだ、俺を買ってくれてたんだ・・・)
その日から千曲が恩人のように思えた。
千曲の天才的な技といってよい。千曲は自らを仏の千曲と称した。県庁幹部の目には、鬼と仏の両方の顔が映った。
事実、千曲は鬼から仏に変えていく自分の技を、自ら誇っていた。アメとムチという言葉を信じて疑わなかった。
(アメとムチか?待てよ・・・ムチを打ってからのアメの方が効き目があるな)
時々、千曲は自分に言い聞かせていた。委員会での千曲は多くを質さなかった。
しかし、執行部にとってはそこが恐かった。
「これじゃ、おめえ、この案件は通す訳にはいかねえなぁ」
千曲は切り札のようにそんなセリフで執行部を睨んだ。
「とにかく、千曲先生にお伺いを立てに行こう。謝りに行こうよ」
部長が課長に告げる。まだ若い課長や係長は理不尽だと思いつつも、部長に同行した。
「よう、よく来たね。大したことはねえよ。もう少し、おめえ、俺の地元にも配慮しとけよな。分かったら、よう、これで終わり!」
こんな時の千曲は上機嫌の絶頂にいた。
「とにかく千曲先生のご機嫌を損ねてしまったら絶対に駄目だ」
部長達は囁き合った。
しかし、内心は怒りの塊だった。家に帰ると酒を浴びるように飲んで妻に怒りをぶちまける県庁幹部が多かった。
(しかし、これだけではもの足りねえな。予算も人事も思い通りにできるような自前の知事をやっぱり、自分の手で出さなきゃな・・・)
千曲は得意の絶頂にいた。飛ぶ鳥も落とすという言葉がぴったりの男、そして政治家になっていった。
当然のこととして大きな反動勢力があった。保守党県議団の三分の一は反千曲といってよかった。しかし、表向いての千曲批判はタブーとなっている。不満がくすぶり続けてそれが、火や炎にならない。
ちょっとした小料理屋や地元に帰った時の千曲批判は火に近い形になった。
〝千曲天皇〟 そんな異名に千曲は内心満足していた。
(天皇に歯向かう者はいまい)
信念のように千曲は思っていた。
「団の運営についても、市長選の推薦についても、大きな知事選についても、みんな千曲の独断、あるいはその一派で決められてしまうのは、およそ民主主義に縁遠いことだよな」
秋が深まって木立の影が長々と伸びている。小池がそんな風景を眺めながらかなり強い口調で言った。
保守党の部屋には誰が呼びかけた訳でもなかったが、十人近くの県議が残っていた。
そこには雑談というにはあまりにも重苦しい雰囲気が流れ、緊張感が漂っていた。
「確かにおかしすぎるよな。今の時代に逆行しているよ、保守党は」
普段、温厚な伊南もこの日は違っていた。
小池も伊南も市議会議員を経験し、議長まで務めてきた。
彼らは地方政治家であることにかなりのプライドを持っている。
「僕は市議会の経験がなく法律を専門にして今までやってきましたが、こんな変な世界があったんですね。でも、これ、千曲先生だけが悪いんじゃないと思いますよ。そういうことを許してきた皆さん、先輩達にも大きな責任があるんじゃないですか。本当、苛立ちますよ」
いかにも初々しい表現で的を射た発言をしたのは弁護士として理想を持って県議に当選してきた神戸だった。
―― 闘いの翼なくして政治的ドラマの成功者にはなりえないな・・・。
春彦は心中秘かに企みを描いていた。
(つづく)
バックナンバー
新着ニュース
- エルメスの跡地はグッチ(2024年11月20日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 秋刀魚苦いかしょっぱいか(2024年11月08日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR