トップページ ≫ 文芸広場 ≫ 県政の深海魚(16)「千曲と信濃」
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「先生、この際、大きな御力を貸して下さい。このまま行ったら保守党は自滅するのみです。千曲先生に権力が集中し過ぎています。千曲先生の同期として、先生、そう思いませんか」
永田も折木も千曲の同期でいつも千曲からは煮え湯を飲まされていた。冷遇され続けていると言った方が適切な存在だった。
「信濃君、君達は幕末の志士だな。君達の考えは最もだ。このままじゃ保守党の存在価値も意義もなくなっちゃうしな。わかった。是非、俺達も参加させてくれ。俺達は君についていくよ。なあ、どうだい、折木先生?」
感激家の永田は二つ返事で春彦に同意した。
「そうだよね。今の形はおかし過ぎるよね。俺は永田先生と同意見だ。信濃君頼んだよ」
折木も快諾した。快諾の早さに春彦は戸惑いすら覚えた。
しかし一方で、現在の保守党の病巣の深さに改めて驚愕した。
―― ようし、間髪を入れずに、次は白石先生と北山先生を攻めよう・・・。
春彦は獲物を狙う鷹のように永田達の一期後輩の県議達に照準をあてた。
北山や白石は圧倒的多数を占める保守党内人事での千曲のやり方に批判的だった。
理念や理想より、むしろ目先の事で頭が一杯、と言った方がいい。
そんな彼らには人事から突破口を作っていくのが良策だと春彦は策を練った。
―― 我々と千曲先生との間に中間層を作っておく。そしてこの中間層に、今の千曲体制でいったら、次の自分達の選挙が危うくなることを徹底的に説いておいて、その次に北山、白石の両氏を口説こう・・・。
春彦は自分より一期後輩の岩井を訪ねた。
「先生。先生は、根っからの保守党本流の人だよね。だから先生の存在は非常に大きいと思うんだ。みんなも先生を頼りにしていることを忘れないで欲しいんだ」
春彦はまず、そう言った。
岩井は照れた。
しかし、岩井の自惚れとプライドに火が付いた。
「まあ、それほどではねえけど、俺も、今の体制はおかしいといつも思ってんだよ。だからさ、信濃先生、うまくやってくれよ。俺は俺で責任を持ちますよ。先生の集団に入っちゃうとかえって身動きが出来ねえけど、遠方からいくらでも協力しますよ。俺達はいつも信濃先生に対して外野で悪いけんど、賛成してんだからよ。俺のやれる事はやりますよ」
岩井の存在は妙な存在だった。愛想は悪いが力はあった。政治的勘と親分肌。そして何よりも政治的経験があった。しかも、地を這うような厳しい人生のトンネルを越えてきた迫力があった。
すかさず春彦は畳み込んだ。
「ありがたい。じゃあまず、党内人事の時は先に候補を相談に行くのでなるべく、我々に賛成してくれますね」
「ああ、分かってますよ。内には入れねえけど、何でも言ってくれれば協力しますよ」
春彦は胸を撫で下ろした。
―― これで外堀はほぼ埋まったな・・・。
春彦は満足感を伴ったかすかな疲れを覚えながら〝フゥー〟と深いため息をついた。
「信濃先生達の動きに不穏なものがありますよ」
日頃から千曲を尊敬している医師の下山が意味ありげに告げた。
また一方で下山は春彦達にも接近している。
「ふーん。薄々は聞いていたけどな。どのくれえ、奴らの動きは進んでるんだい?」
千曲は平静さを装った。眼は遠くを見ている。千曲が何かの企みをする時の最初のポーズだ。
下山はそんな千曲に恐れを抱きながら続けた。
「かなりですよ。とにかくみんな信濃先生に乗っちゃってるんですから」
「なーるほどな・・・サンキューな。又、下山先生。何かあったら真っ先に俺に教えてくれな」
千曲は下山の肩をポーンと叩いた。
「ああ、それからな。先生も車だろう。俺のロッカーに米が入ってんから。重いぞ。だから俺の秘書に運ばせるから」
ニヤリと笑って、千曲はそのまま立ち去った。
「やあ、信濃先生、たまには一杯やりませんか。私もね、先生と時々話してないと頭が酸欠状態になっちゃうんですよ。どうですか」
こんな時の千曲の言葉は丁重そのものだ。
受話器の向こうで春彦の声を聞きながら千曲は横目で滴るような濃緑の樹木に見やっていた。
「飲むことは結構ですから、保守党の応接間で如何ですか」
少し生意気かと思ったが
―― 今の時期に千曲と飲むのはまずい。まして戦いの的となっている千曲と酒を酌み交わしてしまったら戦意も多少は萎える恐れもある。又、仲間に知れたらいらぬ誤解を招いてしまう・・・。
春彦はこれまた、丁重な応対をした。
「分かった。飲むのはいつでもいい。とにかく膝を交えて話しましょうや。アハッハ」
どこかにぎこちなさと、わざとらしさがあった。
千曲は少し躓いたような気がして舌打ちをした。
千曲はいかにも偉そうに座っている。
俺が大先輩なんだぞという威丈高に春彦を無言で威圧している。
「信濃先生、はっきり言いましてね、今の県議会議員の九割は馬鹿と思っていいんですよ。ね、だから、優れた人間、五人いれば県議会は軽く牛耳られるんですよ。どうです、先生、私の片腕となって下さいよ。信濃先生が私の片腕と頭脳になってくれりゃ、そりゃもう、鬼に金棒、完全に県政そのものを我々の手で思うように動かせますよ。どうですよ?」
千曲の太い腕が、春彦の太ももに触れた。
そして押した。
(人を説き伏せる時は理屈じゃない。まず相手をくすぐることだ。心をくすぐり、相手の体に触れて、そこに電流を流し込むことだ・・・)
絶対的な哲学のように千曲はそう信じていた。
(そして・・・極めつけは銭だ。銭で相手は転ぶ・・・)
春彦はわざと作り笑いをした。そして明るさを前面に出して青年のような口調で答えた。
「千曲先生らしいですね。やっぱり先生は凄い人です。大物ですよ。先生にはとても歯が立ちません。片腕なんて恐れ多くてとてもとてもなれません。だいいち、そんな能力なんてこれっぽっちもありません。恥ずかしいですよ」
眼鏡越しの千曲の眼が急に険しくなった。
暗雲が急に漂って激しい驟雨が襲いかかるような、そんな雰囲気になった。
「分かった。又、会おう。とにかく考えておいてくれ、な、先生」
千曲の態度の急変は驚くことではない。
剛と柔。
千曲はいつも巧みに使い分けて相手を籠絡した。心理学の現場職人でもあり、政治の技術者でもあった。
部屋を立ち去っていく千曲の後姿はまさに権力の司祭のようだった。
司祭の腹はすでに決まっていた。
(こいつらを徹底的にやっつけることだ!)
(つづく)
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