トップページ ≫ 文芸広場 ≫ 県政の深海魚(17)「反千曲の動き」
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保守党県議団の中枢が鳩首をそろえた。
まず、千曲が口火を切った。
「先生方、お忙しいところ、急にお呼びたてを致しましたのは他でもない。反党的行動を起こそうと密かに企てをしている連中についてです。首謀者、信濃春彦です。私はここで先生方の意見をまとめて直ちに、彼らの行動を止めさせ我々に忠実な県議会議員として、党務に汗をかくようにしたいと思っておりますがいかがですか」
千曲の先輩格の牧田も稲葉もあえて沈黙を守った。
あえて気がなさそうにタバコを噴かした。タバコの煙をさらに大きな息で追いやっていた。
(この際、信濃達のエネルギーを上手く利用して千曲の抑止力に使った方が利口だ・・・
むしろ、俺は信濃をかばい、俺の力を増幅させた方が都合がいい)
保守党県議団の団長を務める稲葉は特に千曲に嫌悪感を持っていた。
重苦しい沈黙を破って稲葉が言い切った。
「まあ、反党行為というのは言い過ぎですよ。彼らは真面目な連中ばかりですよ。本気で保守党を良くしようと考えている人達だと私は思います。民主的な党の建設という彼らの訴えは県民にも、受けますし今の我が党に一番欠けている部分です。私が団長として、彼らと真剣に話し合います。知事選も来年に控えています。私に一任して下さい!」
稲葉の剣幕があまりに強かったので、千曲は瞬間たじろいだ。
そして不快極まりない顔つきになった。
軽く舌打ちをしながら、他の五人を見た。
牧田がすかさず言った。
「どうだい、稲葉先生に一任しようや。信濃君達はありゃいいぞ。いい男達だよ」
千曲は渋々従った。
腹の中は煮えくり返っていた。
(稲葉の奴、余計な口出ししやがって、まあこれからだ。見てろよ・・・)
隆起した積乱雲が大きな山脈のように県庁周辺を見下している。
S県選出の国会議員達が集まっていた。
勿論、幹部だけだ。下田、馬渕、谷山、名取の四人。
「何か、県議団がもめているようですな」
三人の顔を窺うように、県連会長の下田が言った。
「ああ、信濃君達のあの連中ね。かなり、動きが目立ってきたようですね」
弁護士でもある馬渕が続いた。
谷山は太い眉を指で撫でている。何か言いたかったのか黙っている。
「このままにしておいていいんですかね、皆さん。ちょっと心配になりましてね」
せっかちな下田は早く事をまとめようと思っていた。
下田と千曲は犬猿の仲だった。したがって下田も新しい動きを上手く利用しようとしていた。馬渕も千曲を嫌っていた。
「あのね、彼らは反千曲で動いているだけだと思うな。もう少し様子を見て、それから収拾していくというような・・・そんなことで暫く静観ということでどうですかね」
政治力という点では千曲の足元にも及ばない馬渕は呑気に構えていた。
保守党県議団の団長の稲葉は、信濃春彦と膝を交えていた。
稲葉には学歴がない。その分、独学の中身は厚かった。
人にはとにかく情で訴えていく。しかし、あくまでもその人を観てからのことだった。
稲葉は、国会議員や市長になる夢はとうに捨てていた。
議会での権力を握って、自分の手でチェーンストアの拡大を夢見ていた。勿論、チェーンストアの
全国組織のトップになることも彼の野望の一つだった。それには何としても県議会を牛耳ることだった。
(〝県議会のボス〟ということになれば、自分の仕事の協会でもボスになれる)
稲葉はその一点に野心を燃焼させていた。
「信濃先生、いつもご苦労様です。どうですか、先生達のグループの皆さんは?私はね、先生達の運動に大賛成ですよ。だいたいね、千曲先生がいつも何かを画策して、力で事を決めてしまう方法は間違ってますよ。まあ、僕等にも責任はありますが、とにかく、頑張って下さいよ。いつでも僕は先生達の味方ですから」
稲葉は春彦達グループと中間派グループを上手く味方にして、千曲を孤立させようと謀っていた。稲葉は返ってくる春彦の言葉を期待していた。
「ありがとうございます。ところで稲葉先生、私達が政策集団をしっかりまとめたら記者会見を私と一緒にしてくれませんか」
春彦の意外な言葉に稲葉は一瞬、驚いた。
「記者会見?この団長の私が?」
虚を衝かれたようだった。
(まさか、団長の自分に記者会見までしろとは、この信濃は相当な強者だな。油断できない・・・)
稲葉は返答に窮した。一分が一時間のように思えた。
「まあ、まあ、分かりましたよ。ちょ、ちょっと僕に時間をくれませんか?信濃先生の意に添うように考えますから。まあ、ちょっと待って下さい・・・」
稲葉は慌てた。
「待ちます。しかし一週間以内と決めて下さい。先生、宜しいですね」
稲葉に強く念を押して、春彦は必要以上に深々と頭を下げた。
毎朝新聞の最上礼子に電話があったのは、蝉しぐれの激しい昼時だった。
電話の主は春彦だ。
「明日の午前十時に記者会見をやります」
記者クラブの幹事役の最上礼子は飛び上がるように驚いた。
「えっ!何の記者会見なんですか!」
最上礼子はかれこれ一年近く春彦を追い、情報と状況を自分なりに握ってきたが、突然の記者会見とは一体何だろうと思った。
「今まで信濃先生は、お茶を飲んでも、食事をしても、そんな性急なことは一度も口にしなかったではないですか。ねえ先生、どんな事なんですか。何かが起こったのですか?」
最上礼子はそう言いながら、ふと恥じらいのような気持ちを抱いた。
(何でこの信濃のために今の自分は一番近いような気持ちになっているのかしら・・・)
「たいしたことはないよ。稲葉団長と僕でやる。心配することじゃないよ。稲葉団長が派閥を認めるという会見さ」
最上礼子は声が詰まった。
「そ、そんなことしてしまって千曲先生達の反感の油に火を点けるようなものじゃない」
最上礼子の口調は記者のそれではなくなっている。心配の頂点に達していた。
県政記者クラブはざわめいていた。
「こりゃ、お面白くなってきたな」
「しかし、千曲達も黙ってはいないな。強烈な反撃に出てくるぞ」
「全くだ。見ものだな。記事としてはトップ記事だな」
記者は口々に叫んでいた。
翌朝、記者会見が行われた。何しろ県政最大野党の団長の記者会見だけに会見場は張り詰めたような空気が充満している。
まず、団長の稲葉が口を開いた。
「皆さん、お疲れ様です。今回皆さん方にお集まり頂いたのは、我が保守党内部の事で恐縮ですが、皆さん方も既にご承知の通り我が党内の派閥の有無について、団長の私はあえて決断を致しました。民主主義社会において、一つの目的を達成するために多様な意見の存在は絶対に必要です。但し、目的は一つ、我が保守党の結束と民主化というこの一つです。ですから、そのような志を持った政策集団、つまり派閥は必要欠くべかざるものと判断しました」
NATテレビの記者が皮肉な質問をした。
「そうしますと、今まで保守党は民主的でなかった、本当の結束もしていなかった、と、こう言う事ですか?」
「まあ、そんなことでしょうね」
稲葉は曖昧な返事をした。
内外通信の記者が続いた。
「ところで、ここに信濃先生が同席しておられるということは、信濃先生達が何かをなさるということですか。何をどのようになさるのですか?」
最上礼子は手に汗を握っている。自分の立場も質問も忘れて春彦の発言を待った。
「政策集団、県政同志会を明確な派閥として、徹底的な研修を積み重ねて参ります。民主的で風通しの良い集団を作り、他の集団と切磋琢磨し、保守党の民主化を図り、来るべき知事選にも必ず勝利できる、県民の負託に真に応えられる保守党を創っていく礎となりたいと、ここに決意を致しました」
「くそ!稲葉の野郎、ふざけやがって!何で俺達に断りもしねえで、おめえ、勝手に記者会見しやがって!」
翌朝の新聞記事は千曲にとって全く寝耳に水だった。
千曲は新聞を床に投げつけた。それでも怒りが収まらず、再び投げ捨てられた新聞を引き寄せた。そして両方の手で思いっきり破り捨てた。千曲の顔相は阿修羅となった。
絶えず深い海底にあって敵意に溢れながら闘争の鬼になる。敵を海底のモズクとすることを唯一の快感とする非天のアスラ、まさしく千曲の身は不穏な底知れぬ海底にあった。
千曲の大好きな地方政界の海だ。
千曲は早速、配下の県会議員を集めた。
「いいか、あんな奴等に県政を牛耳られたら俺達の恥だ!奴等の暴走をあらゆる手段を使って阻止するんだ!」
「イタリアのマフィアのようだな・・・」
同期の塩田が呟いた。
千曲は保守党県連の意思として、一切派閥は認めないという言質を取った。
千曲の前に国会議員達はまるで子供のように無力だった。
団長の稲葉はその会には呼ばれなかった。呼ぶことによって春彦仕込みの正論を稲葉に代弁されるのを千曲は避けた。
S県連の記者会見はいきなり行われた。
「県連としては、反党的な派閥活動は一切認めない」
千曲が強引に作り上げた原稿を県連会長の下田は吐き捨てるように棒読みした。
県連は名目上県議団の上位の位置を占めている。
県連の決定は重く、絶対的なものだ。
春彦はこの事実を朝刊で知った。
「何っ、何だよこれは、県議団を頭越しにしやがって」
硬派で一本気の井出が激怒した。
春彦達の政策集団は既に、二十五名の県議団で構成されていた。
「こうなったら徹底抗戦しかありえない!」
千曲のあまりにも強圧的な手法に二十五名は熱り立った。県政の歴史の歯車が大きく回りはじめようとする瞬間でもあった。
(つづく)
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