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文芸広場
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埼玉大学教育学部付属中学校は、埼玉県庁と別所沼公園の間の中浦和駅に向かう道路に面しています。校庭を通して校舎が見えるのですが、何故か正門は裏側の別所沼公園に続く、静かな住宅街側に在ります。
男子の制服は学ランですが、今の女子の制服は、この校舎が建て替えられた時からのデザインです。グレーの上着にベストとスカート。ワイシャツにえんじ色のネクタイで、殆どの女子が、初めてネクタイの結び方を経験します。慣れないネクタイを結ぶので、着替えには時間が掛かります。下校時間ギリギリまで体操着で部活をすると、閉門に間に合わせるので、ロッカールームは大騒ぎでした。閉門をクリアーし、ヘトヘトになって、当時できたばかりの埼玉会館のベンチで休憩しながら、浦和駅まで帰ったこともありました。帰宅距離の長い生徒が多いせいか、周りの公立より下校時間も早目で、家が近く、暗くなるまで部活が出来る地元の市立が羨ましく思ったものです。帰宅部の生徒もいたようですが、当時はバスケット部や卓球部が強い時代でした。
教室は、その当時中学には珍しい教科教室制が導入されたので、移動で通路が込み合う事も多々ありました。教育の研究校でもあったので、新しい機械の導入も早く、いち早く導入されたESLの室では、個別に仕切ったブースで、機械やヘッドホンを付けての授業が行われました。今は英語圏から迎えた先生の授業もあるようですが、当時としては進んだ試みだったと思います。
先生方は皆熱心で、優秀な方ばかりでしたが、研究校なので他校の先生方を迎えての研究授業や会議、出張も多いようでした。大学の教育実習生受け入れは、1クラス4,5人くらいでしたか、兎に角毎回結構な人数です。年の離れた兄弟のような実習生の授業は少々未熟ですが、年上の兄姉といった感じで、休み時間も色々な話をたり、運動したりと楽しい時間でした。
卒業するころ迄には、高校ができるという話も耳にして期待していたのですが、残念ながら今も現状維持のようです。
入学するとすぐに、新入生にも進路についての話があります。受験で入った生徒にはそうではなかったかもしれませんが、付属小学校から持ち上った内部生には、入学間もない時期に卒業後の話で、ぴんと来ない子も多かったのではないでしょうか。受験で入った外部生と持ち上がりの内部生は、すぐに溶け込みますが、大人びた生徒や自己主張する生徒、テストには余裕の手ぶらで登校する生徒がいたり、外部生からの風は内部生には良い刺激になりました。
生徒の家庭環境は、教育に関心の深い家庭が多く、教育者や医者、税法関係の仕事を持つ親が多いようでした。中には温室育ち的な気質の生徒もいましたが、学校行事が多く、結構心身共に鍛えられます。林間学校ではきつい山登り、持久走では寒風の中、荒川の土手を毎年走りました。文化祭にも熱が入りました。
最近は選択肢も多く、有名私立や中高一貫校などへの志願者も多いようですが、文教の街、浦和に根差し、なかなか充実した学校生活を送れる学校です。今でも、この学校でしか受けられなかったと思う教育に感謝することが度々あります。
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