トップページ ≫ 文芸広場 ≫ 雪んこの頑張ろう!「大人になるということ」
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大人になるということは単に歳を重ねるだけではない。
勿論、常識あるものになるということが前提だが、がむしゃらに突っ走っていた若い頃とは違い、脇目を振る余裕というものができることだ。
困っているひとを助けたり、道端に咲く花を美しいと感じたり、また感謝の気持ちを忘れないこと。親であったり、日常のまわりの人であったり、また亡くなられた人であったり、時に命あることへの感謝など。これこそが人間としての余裕であり、ある意味の原点なのかもしれない。
そんなわけで、私は少しその余裕というものがでてきたのか、昨年同様に叔父のお墓参りに鎌倉まで足をのばす。ついでにこの時期の朝どりの生しらすを食すという楽しみも味わってくる。
叔父のお墓に行く前に生しらすが食べられる店を探す。この時期はみな考えることは同じ。生しらすが食べられるどの店もすでに大勢のひとが並ぶ。私も並んだものの、まだまだ待ちそうなので、他にもないか相棒をその場所に残し、別の店を探しにいく。少し探索はしたものの、どの店も同じ行列があり、諦めて相棒の場所に戻ろうと足は動いていたが、まだ諦めがつかず、左右キョロキョロと目が動く。その瞬間、道路のアスファルトのへこんだ部分につまずき、厚底サンダルが倒れると同時に私の体はたちまち元の目線から消え、地面と平行になった。
「痛い!」私の声と同時に通りかかったカップルがクスッと笑みを浮かべて去って行った。
私の痛む姿と膝小僧の血をみた相棒が「馬鹿だね」と言った。「だからさっきここを通ったカップルがクスクスと笑っていたんだ」。
そう、相棒は転んだ私の5メートルほど前方に後ろ向きにいたため、その瞬間は見ていないのだ。
しかし、私も「馬鹿だね」と言われて負けていない。すかさず「人生七転び八起き、そして人生には笑いがつきもの、人を楽しませてナンボだよ」と。
その後、負傷した足を引きずりながらお墓参りを無事すませ、帰路につく。
鎌倉はその後、雷雨になったが、私達は濡れることなく無事帰宅した。
「大人になるということ」とは、冒頭に脇目を振る余裕と述べたが、転ぶ私の大人への階段は、まだまだ遠い道のりなのかもしれない。
いや、まて、ある人は私を「おとな」ではなく「こどな」という。
きっと生涯「こどな」なのかもしれない。(笑)
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