文芸広場
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男はその時ペンを握っていた。
文字を書くためにペンを握ったにもかかわらず、そのペンを動かすことさえ、泣くことさえできなかった。そう、それは「悔しさ」というものが男に襲いかかり、身動きができなかったのだ。
悔しさは時間がたつごとにさらに波のように押し寄せてきた。高波のように心臓の鼓動が激しく脈打った。そしてペンを動かさなければいけない己との葛藤が続いた。
ありふれた一文、多くの者への労いの台詞を書こうと心に決めたとき、一本の電話が鳴った。不幸や慰めの声などききたくもなかったが、その音を静止できる気力もなかったので、男は渋々受話器を取った。
すると、その受話器の向こうから「勝った、勝ったよ」という言葉が響く。
何秒か前にペンを走らせようとした男に想像すらしなかった言葉が耳に響いた。
男の高波はすでにおさまりつつあるのか、冷静に「そんなことはない」と感じとり、受話器を置く。
さらに何分間後、電話機が心を惑わすかのような音を鳴り響かせる。
それはもっとも男が信頼する者からの電話だった。
「勝ったよ!」その一言で一瞬男はたじろいだ。そしてペンが男の手からこぼれ落ちた。その受話器の向こうからは、男を確信へと導く言葉が声となってあらわになった。その受話器を置き、男は人知れず、静かな涙を流した。
男は「勝ったのだ」と何度も何度も心にその言葉を送る。勝ち目の危うい勝負に勝ったのだ。だからこそ、歓びも感動もひとしおだった。
諦めと悔しさからの勝利の涙は格別な忘れられない涙となった。
そう、男は、何十年前のあの時、あの瞬間を今でも忘れない。
だからこそ、男は、今も成功の道を歩み、政治家として最も輝いている。
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