トップページ ≫ コラム ≫ 埼玉の余話 ≫ 埼玉の余話 2010.12.17
コラム …埼玉の余話
・遠くは鹿児島。中間は名古屋。近くで草加。住民投票が首長選挙を左右させている。というよりも、住民投票という行為が、日本の民主主義や地方自治、さらには一体、首長とは何かを問うているといった方が適切かもしれない。そもそも議会制民主主義とは、議会そのものを尊ぶというところにその原点がある。議員は市民の代弁者として議会活動を行っていく。一方、首長は大統領制と同じで、有権者が直接一人のリーダーを選ぶ。選ばれたリーダーが自らの公約を果たそうとすると、そのリーダーの考えと異なる意見を議会の多数が持っていると、当然摩擦が生じる。結果の極みとして住民投票となる。しかし、リーダーに要求される資質の一つは調整能力であり、説得の能力の筈だ。自分の意見が通らぬからといって、それらの機会を放棄して、安易に住民投票に走るようでは本当の政治はできる訳はない。
・マックスウェーバーの言を借りるまでも無く、政治のリーダーは粘り強く壁の穴をキリで一生懸命あけ貫いていく血の出る努力を要する筈だ。結果、立場の異なる人々を味方につけ、事の成就をはかり、有権者から称賛を得る。——そこに政治家としてのやりがいが湧いてくるのではないだろうか。いきなり自分の主張が受け入れられないからといって、議会を越えた言動を起こすようでは、“市民革命”でもなく、議会制民主主義を否定する暴走政治といわれても仕方あるまい。
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