トップページ ≫ コラム ≫ 埼玉の余話 ≫ 埼玉の余話 2011.05.10
コラム …埼玉の余話
・県議や市議達にとってブログという武器?はどのような効用があるのか。自分の力不足を嘆き、自分の思いを美化し、困苦難航をオブラートに包んで逃避しているようにみえてならない。というよりそんな姿が映っているのがどうも鼻につく。自分の至らなさなんか他者に公表することはないのだ。むしろこらえて自らのバネとして重厚な人間になることだ。ブログで戦う?のは邪道だ。堂々と街頭に出るべきだ。議会で論陣を張るべきだ。政治家のダイナモは堂々たる姿勢をもって戦うところにある。ある市の市長だった人の息子が新人で当選した。そのブログは父親の怨念を代弁しているのはミエミエで滑稽だ。こんなブログで青春を送っていると、今後女々しい男か枯れはてた草食人間になるしか道はなくなってしまう。“雄々しく!”は政治家のキーワードのはずだ。
・場当たりという言葉は演劇の場ではプラス用語だが、一般的にはその場の思いつきということでマイナス用語。今の政権政党の場当たり的発言と発想はいよいよその薄っぺらな中身を国民の前にさらけだしてきた。“コンクリートから人へ”いま、コンクリートがもっと高かったらということのほうが真実だ。忘れてならいのは今後の河川の氾濫だ。スーパー堤防なんて無意味だといってバッサリ切り捨てていたこの党の論客達はすっかり平和ボケに陥っていて危機はいつもとなりに潜んでいることを忘れていた。場はずれという言葉はなかったかな。
・夕張市の市長に当選した鈴木さんは三郷市の人だ。この当選の秘話の一つとしていわゆる労組の援助を断ったことが功を奏したようだ。超多額の借金を背負っている夕張市の再建には片寄った特定の組織に魂を売ってしまったらとても成就はできないという賢い判断からだ。さらに特筆すべきは前市長の存在だ。この人は改革を旗印に4年前に当選したが議会のあまりにも理不尽ないじめにあってその椅子を捨てた。そして市議会議長になった。議会の改革からはじめたいと。そして、鈴木候補を応援した。さて議会の改革は一人の議長だけでは無理だ。やはりトップの首長の姿勢が重要な要素となる。あらゆる努力をしながら自己変革をし、その変革の姿を逆照射して議会も変わっていくものだ。すべて他者を変えるには自己から変わっていかなければその成功はありえない。
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