トップページ ≫ コラム ≫ 埼玉の余話 ≫ 埼玉の余話 2011.10.14
コラム …埼玉の余話
政治家を志すということは何か。当たり前のことだが政治家という立場でこの社会を一歩でも前進させたいということだろう。しかし、昨今の受験戦争に見受けられるように、志望校に受かること、そのことが目的化されてしまって何のために学校で学ぶかという一番大切なことが忘れられてしまっている。ある県議はきっぱりと言った。“私は県議になって様々な勉強会等には入りたくない。私は県議になると、そのことが目的だったからだ”と。受験生はその家の家計でまかなわれているが県議は税金だ。有権者はその対価として政策の実行を期待し、その政治家を選んでいるはずだ。小子は政治家の劣化を嘆き続けてきた。せめて地方の政治家は期待に応えて欲しいと願っているが、どうやらそれは無理らしい。地方といっても首長にはかすかな期待をしたい。そして政界再編でもあって国政にも少しましな政治家の登場を願うが、結局は有権者の責任であることの自覚こそが第一であることは言うまでもない。
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