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コラム …男の珈琲タイム
「一期一会」という言葉がある。一生に一度の出会いということになろうか。
哲学的深い意味はさておき、私にはちょっと寂しいようにも聞こえてくる。
「袖触れ合うも他生の縁」というのもある。これは、たとえ行きずりの出会いでも、それを縁ととらえ大切にしたいという前向きの姿勢が見えてくる。
いずれも人と人との「出会い」にまつわる代表的なことわざだとは思うが、つきつめれば、どちらも如何に「出会い」を「大切にするか」ということになるだろう。
人間、この世に「生」を受けた以上、その瞬間から、好むと好まざるを問わず人との出会いが始まる。
親と子の出会いに始まり、その後様々な出会いに遭遇することとなる。そして毎日が出会いと別れの繰り返しになる。それが人間の宿命だとは思うが、時には思わぬところで思わぬ「出会い」があり、それが思わぬ付き合いにまで発展することもある。
私も若い頃こんな出会いもあった。
ある夏の最盛期、その頃恒例となっていた剣岳東面、別山平定着の岩登り合宿にでかける時のことである。仲間から1日遅れて西武線池袋から山手線に乗り換え、上野に向かった。夏休み中のこともあって、車内はちょうど座席が埋まる程度、立っている人はまばらだった。幸い私も席がとれ、どでかいキスリングを前の床に下ろし座ることができた。
途中大塚であったか、巣鴨で乗られたのかはわからないが、気がつくと私の前には白髪の老紳士が立っていた。傍らに寄り添うように夫人と思われる方もいた。私は床のザックを横にずらし「どうぞ」といって立ち上がった。紳士は一瞬、戸惑われた様子を伺えたが、すぐに「ありがとう」と言って横にいた婦人を促しそこに座らせた。必然的に紳士と私は隣の吊り革を持って並んで立つことになった。
紳士は私のどでかい「キスリングザック」を見て、「何処か山へでも行くのですか?」と話しかけてきた。「その山へは何の目的で行くのですか?高山植物の研究採集にでも?」「いや、ただ岩登りに行くだけです」と答えた。
およそ、私には研究などという面倒な世界には縁がない。そう答えるほかはなかった。それをどう受け取られたかは知る由もないが、紳士はすぐに「私はこういう者です」と言って、胸のポケットから出した名刺を私に差し出された。
受け取った名刺には『関西某女子大学教授 山口一郎 住所 神戸市・・・』
私はただ、恐縮するばかりで、当然のことながら名刺などなく、「私は埼玉県S市に住む大野という者です」と名乗っただけで上野駅で別れた。
まさにそれは一期一会の大切な一瞬で終わるはずだった。
ところがそういうことにはならなかった。
半月間の合宿も無事終わり、家に帰ってきてもまだ後始末がある。共同装備のチェック、私物の整理など面倒な仕事がある。
その中には半月間、穿きづめの汗と泥に塗れたズボンがあった。その後ポケットの中から「山日記」用の手帳がでてきた。その手帳の中に1枚の名刺が挟まれていた。それは紛れもない例の山手線の中で、くしくもいただいた、山口一郎先生の名刺だった。
山手線車内、わずか10分足らずの出会いの中でとられた先生の心くばりある対応に私はあまりにもそっけない態度だったことに気づき、早速手紙を書くことにした。
内容は車内での無礼のお詫び、改めての自己紹介、それに山焼けした自分の写真を一枚添えて送った。
数日すると、先生から返事の手紙が届いた。それには、私の突然の予期しない手紙に驚き、大変喜んでおられる様子が、1行、1行にこめられていた。
一応、社会的地位のある方が、一介の山男である私と同じ目線で語りかけられたことに、私もいたく感激し大変嬉しかった。
それ以来、春夏秋冬の挨拶はもとより、人生の節目となる私の結婚の際にも、貴重な記念になる品に添えて、丁重なお祝いのお手紙までいただく程の深い文通が続いていた。
山手線車内のわずか10分の出会いが、ここまでの付き合いになることに人生の「出会いの妙」を感ぜざるを得ない。
(大野 明)
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