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コラム …男の珈琲タイム
11月上旬の土曜の都内居酒屋。泡盛をしたためながら三線とエイサー太鼓のしらべにのった沖縄民謡を聞いているとこれでいよいよ自分もウチナージャンキーの仲間入りだと思った。この夜の集いは石垣島をはじめとする八重山列島の鳩間島、黒島で民宿や船宿を経営する若手オーナーとそのお客さんたちがあつまる会であった。
2012年の9月末に遅い夏休みを取り、私はスキューバダイビングのライセンスをとるために石垣島に旅に出た。実は同年のゴールデンウィークに体験ダイビングを行い、その楽しさが忘れられず、ライセンスをとろうとおもってスクールを探している中で石垣島にたどり着いた。石垣島をはじめとする八重山列島は沖縄本島から見ると鹿児島と同じくらい遠い距離で台湾がほど近い日本の最西端エリアである。
ウチナージャンキーは漢字で「沖縄耽溺者」と書き、文字通り沖縄の魅力にとりつかれた人々を指す言葉で、何度も沖縄に訪れている人を指す。ちなみに回数の少ない初心者はウチナービギナーというそうだ。自分自身は沖縄本島には何度かいったことがあり、本島近くの久米島にはプロ野球のキャンプの仕事にも訪れたこともあった。しかしウチナージャンキーといえるほど魅力に取り付かれていたわけではなかった。いわゆる「ハマる」きっかけとしては音楽、グルメ、ダイビングなど様々だろうが、自分にとっては離島での自然や人とのふれあいであった。さらに島で出会ったインストラクターやお店の人たちや冒頭の会に集まった人たちの多くがウチナージャンキーの度が過ぎて定住してしまったり、数年間働くにいたった沖縄県以外の人(ナイチャー)だった。自分自身当初は海の暖かいダイビングスポットとしてしか沖縄の離島エリアを意識していなかったが、滞在のなかでどんどん魅入られっていった過程がわれながら面白い。
とはいえ、昨今の沖縄の状況をみると単なる観光的な側面だけでは理解として不十分だろう。2012年は沖縄の復帰40周年である。石垣島のあと那覇で県立博物館の復帰40年記念特別展「Okinawaから沖縄へ」を観覧した。その中には様々な圧力の中で復帰に夢を託した人たちの努力を垣間見ることができた。さかのぼれば沖縄戦のとき大田実中将が海軍次官宛てに送った電文「沖縄県民欺く戦へり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを」や現在に至っても日本の国土の6%の面積の沖縄県に74%の米軍基地が集中している現実など、ナイチャー(他府県民)はもっと沖縄が負担を強いられてきた歴史に目を向けるべきであろう。
ただ、「べき論」で人は動くわけではなく、関心を持つきっかけが必要だ。まずは風土、気候、音楽といったところからでも関心を持ってもらえればいいと思う。だから自分は今夜も島唄を口ずさみながら古酒をのみ、ウチナージャンキーとして沖縄の良さを語っていきたい。
(小林 司)
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