トップページ ≫ コラム ≫ 埼玉の余話 ≫ 埼玉の余話2013.4.4
コラム …埼玉の余話
小選挙区制という制度は極端な話、半分が死に票になってしまう。自分の投じた票が意味をなさないということは選挙そのものが無意味なものになってしまう恐れがある。さらに小選挙区制とはその名の通り、小さな選挙区から選ばれてくるから人物も又、小さくなりがちだ。そして、ちょっと大きな都市の市長と同格になる。どっちが偉いということではないが、国政の場に立つ者としては何んとなく肩身が狭くなってしまう。
ともあれ、政治家という身分が羨望の的でなくなってしまったことは残念ながら事実だ。小物、小粒では魅力も何もあったものではない。地方の政治家も皆同じだ。市長選に出る構えをチラつかせながら条件次第でサッと降りる。そこには使命も覚悟もみられない。小細工を弄することや小手先を弄することを当たり前としているようでは誰も政治家に尊敬心を抱く筈がない。選挙はのるかそるかの勝負の場である筈だ。自らの退路を断つところに共感を得られるのだ。さいたま市長選を1ヶ月後に控えて、現職の対抗馬の人達は誰もが退路を断つ潔さが見られないのは情けない話だ。
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