トップページ ≫ コラム ≫ 男の珈琲タイム ≫ 「地上の星」 俺は見た~前編
コラム …男の珈琲タイム
山(登山)の世界で有名になっている奴にろくな者は居ない。生き残っている連中も同様だ。と、Sさんが吐き捨てるように呟いた。所は都内某ホテル。H山岳会60周年記念祝賀会パーティ会場。
有名、無名の参会者、約200数拾名。例によって、開会の辞に始まり続いて「現役代表」による登山活動報告を交えた新鮮味溢れる清々しい挨拶。次に、お決まりの来賓代表の祝辞が始まった時のことだった。あまりにも過激なご意見ではあるが簡単に聞き流してしまって良いものか?私も現在、生き残りの仲間として一寸だけ考えてみたい。
彼の実績を持って思わず出てしまったのだろうが、その言葉のもつ意味は、かなり重い。
しかし、それは、山関係に限らずあらゆる業界にもあてはまる所があるような気もする。それぞれ目標とする分野で表面だけを要領よく「なぞり」後はマスコミに媚びることだけで存在を示したがる「族(やから)」もいないとは言い切れない。しかし、それはそれ「本物」もいることも亦確かなのだ。ほとんど日の当らないような所で、人命にも係わる大切な研究を地道に続けている学者さんとも出会う。又、下町の裏通りで、あたかも「神の手」でも持っているかのごとき凄い仕事を淡々とこなしてしまう職人さんもいる。
「シンガーソングライター」中島みゆきの歌に「地上の星」というのがある。
みんな何処へ行った 見守られることもなく
地上にある星を 誰も覚えていない
人は空ばかり見ている
つばめよ 高い空から 教えてよ地上の星を
つばめよ 地上星は 今何処にあるのだろう
この詩を聞きながら私は、何時の間にか町の何処かで出会った「学者さん」「職人さん」の姿と、地上の星をダブらせていた。
前者を「マスコミ融合派」とすれば後者は「地上の星派」と言えるだろう。人は誰でも自由に生きる道を選択できる。
どちらの道を選ぼうと他人が関知することではない。しかし、貴方はどちらが好きかと問われれば、私は迷うことなく「地上の星派」を選ぶだろう。「好き」「嫌い」こそ娑婆にいきるすべての人間に与えられているギリギリの権利だ。と思っているから。
例え「ダンボール」を住処にしている人でも、「お前にだけは世話になりたくない」と拒否することもできる筈だ。好き嫌いについては、どんな条件にある「弱者」も極めて公平にもつことのできる究極の自由だと思う。民主主義の大原則、多数決によって決定されたことでも必ずしも正解だとは限らない。周囲の「人気」という魔物に惑わされて思わぬ紛い物を掴まされることもある。それは「国政選挙」も「買い物」もみな同じだ。迷った時こそ一番すきだと思うものを選ぶことが肝要、結果はどうあれ納得できる。食べ物のことでも誰もが好きか、嫌いかを選択の基準にしている。「僕は何でも食べます」などと気取っていう奴でも、二つの内、どちらでも一つどうぞ、といわれれば、きっと好きな方に手を出すに違いない。私は子供の頃から「梅干」「焼きそば」「キムチ」が苦手だった。
梅干は体に良いからと、ご近所の「ヂー」「バー」になんぼすすめられても食えなかったのが、自分が完全に「ヂヂイ」になった65歳頃から、やっと一日一個食えるようになった。それでも積極的に食べる気が起こらないのは、梅干については現在好き嫌いの丁度中間点といったところか・・・
「キムチ」「焼きそば」は依然として好きになれない。勿論、無理に好きになろうなどとは決して思わない。何事においても周りの「噂」「評価」など一切、気兼ねすることなく「好き」と思う方向に突っ走る傾向がある私に、此の頃、面と向かって忠告めいたことを言う友人がでてきた。
お前は我儘で頑固だ。その上、要領が悪い等々、かなり辛辣になってきている。当人は全くそんな自覚はない。時流に逆らうことなく、至って素直に正直に生きようとしているつもりなのだが・・・。(つづく)
(大野 明)
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