トップページ ≫ コラム ≫ 埼玉の余話 ≫ 埼玉の余話2013.9.1
コラム …埼玉の余話
武末さんが亡くなった。といってもこの人の名を知る人はごく限られた人達だ。元労働大臣山口敏夫氏が新自由クラブを創った時、もっとも早くこの運動に参加した人だった。山口さんの組織の青年部長として華々しく活躍した。建設業という仕事柄、親分肌で人の面倒見がよかった。だから「子分」なる人がかなりいた。スポーツで、県立飯能高校が高校野球で県下に名を馳せていた時、花のピッチャーだった。その球をうけたキャッチャーがプロ野球で活躍し、名球会入りした松原誠だ。人間のめぐりあわせは実に不思議なものだ。武末さんが逝去したのは、8月31日だった。この日、上田知事の特別秘書、野本能伸さんが10年の長きにわたった職を辞した。この野本さんの仲人の武末さんが人生を終え、一方の野本さんは同じ日に花の特別秘書を終えた。何とも不思議ではないか。
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