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コラム …男の珈琲タイム
そば処「孤丘」は、私の心をとらえてはなさなかった。先述した通りだ。二ヵ月前、私は「孤丘」を訪ねた。きれいなパンフレットが目についた。手にとってみると、「孤丘」のいわれが書かれていた。そこには、「孤丘の誡め」とあって、立身出世しても他人から恨まれないようにせよ。常に謙虚な心を保てということが記されていた。出典は、中国春秋時代の列子。さらに孤丘とは昔の中国の村の名とあった。この教養にあふれた店の名の命名は、オーナーの人柄そのものなのだろう。
私はその人を想像した。髪、白く、ひょうひょうとした弧高の人ではあるまいか。
詩心を保ち、この店に来る客がすくなくとも瞬時、内なる詩心を撫でられることを願って御亭主はこの風格のある店を造り、そして、「孤丘」と名付けた。さらに、人はかくあるべしと、謙虚さをさとしたのだろう。
私の想像はひろがるばかりだ。詩人の蔵原伸二郎氏が私の母校の中学の校歌を作詩してくださり、わたしが、学校を代表して音楽部の合唱団を背に校歌を独唱した時、私はさらに日本の叙情歌、椰子の実も唱うよう命じられていた。何故、椰子の実なのか。当時私に特訓を課した音楽の先生は一方で詩人だった。蔵原伸二郎先生の寂々寥々たる孤影に、「名も知らぬ遠き島より流れよる椰子の実ひとつ。ふる里の岸を離れて、なれはそも波に幾月・・・・・実をとりて胸にあつれば、たぎり落つ異郷の涙・・・・・」。藤村の悲しみを重ねたにちがいない。そう想うと、唱も詩も人生に無くてはならない宝石のように思えた。少年のわたしは人生を流れている川の深みをのぞいてしまったような、秘密めいた喜悦をおぼえた。
今、私は独りで地球儀をまわしている。
日本の海の彼方に南国の幻想をみている。
そして、世界の山や森に今日も狐達が遠い彼方をじっと見つめている姿を浮かべるのだ。
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