トップページ ≫ コラム ≫ 男の珈琲タイム ≫ 般若面と山
コラム …男の珈琲タイム
正面の壁に、よく見かける派手な富士山がゆれあがる湯気の向こうにそびえていた。夕方のことで五メートル四方以上もある湯船は満員の盛況。ところは上野駅に程近い銭湯。あまり長湯をしない習慣の俺は、お湯から出て三つだけ空いていた「カラン」の一番左にあった洗い場用のちっちゃな木椅子に腰を下ろし、山で10日もためてしまった垢を落とし始めた。そこへシャッターを下ろしてきた竹重が右横に座った。黙ってどこかゴシゴシ洗っていた彼が突然大きな声で「オイオイ君々!」。当然俺のことだと思って右をむいたが、彼はその向こう側の奴に声をかけたらしい。俺はもう一度湯につかろうと立ち上がり、ヒョイと向こう側の背中を見ると、般若の面が鮮やかに描かれていた。振り向いた奴の顔はいかにも一癖ありそうで、あまり関りたくない面構えだった。
一方、竹重はと見ればそんなことは全く意に介していないらしい。「君は銭湯の入り方も知らないのか、隣のことも考えずいきなり頭に思い切り湯をかける奴が何処にいる!そんなことは上野じゃあ通用しねえ・・・」とやっている。どうやら奴が被ったお湯のとばっちりを食ったらしい。機先を制されたのか「般若の兄い」は唯、ひたすら無礼を詫びるだけ。上野は初めてで、とか何とかゴチャゴチャ言っていたが「解ればいいんだ」のひと言で無事悶着は収まった。
まだ、カランの前で髭剃りをしている竹重に、「何時もの店に先に行っている。」と言い残し銭湯を出た。お馴染みの赤提灯で2、3本空けたところへ、濡れ手拭片手に竹重が入ってきた。何を話すのかなと、思っていたら、いきなり山の話になった。「あの最後の降りでよう・・・。察するところ、今回の夏山合宿最終日、早月尾根下降中、足を引き摺っていたことを弁解するつもりらしい。つい先程のトラブルなどすっかり忘れて・・・。どうも彼は麓を下ると途端に元気になる。特に上野界隈まで来ると、街中、自分が仕切っているかのように振舞う癖がある。
焼き鳥をツマミに二人でお銚子を何本か横にすると、彼は益々饒舌になってきた。
彼はお湯に入って、すっかり着替え、スッキリしているのだからいいが、俺は、風呂に入ったとは言え、まだ、シャツは汗臭い。ズボンは泥だらけで、今一の気分だ。山では10日間、着の身着のままでも、少しも気にならないのが俗界に戻るとそうはいかない。急に贅沢になる。早く家に帰ってサッパリしたくなった。
西武線池袋発、飯能行最終電車に間に合わせるべく 竹重を残して店を出ることにした。
翌年、いよいよ新人を迎えて希望と期待ふくらむ春合宿の始まりとなる。このところ恒例となっている一の倉、新道出合いを今回も同様「ベースキャンプ」とした。敢えてベースを湯檜曽川べりまで下げているのは岩壁登攀でのアプローチを出来るだけ遠くすることで、身体への負担を多くし、その状態での登攀活動強化が狙いだった。期間は4月末日より7日間。3年生以上の中堅は全日程、一の倉中心の登攀活動。芝倉沢では新人と前年度落第生を対象とした実践的、雪上訓練がOB協力によって進められていた。
後半参加予定だった私は、5月3日11時頃、土合駅に着き休むこともなく、湯木檜曽川沿いを一の倉沢出合いのベースに向かった。マチガ沢出合いを過ぎ、少し歩くと間もなく、見覚えのある、どでかい「カマテン」が見えてきた。近づくと、この時間にしてはテント内が少々騒がしすぎる。急いで丸く開けてある入り口から覗こうとすると中から当日、「中央稜パーティ」だった筈の川島が何時になく真剣な顔で、新人の鈴木が芝倉沢で雪上訓練中、ピッケル操作を誤り怪我をしたことを告げる。中に入ってみると、太股の傷口からの出血はほとんど止まっている。しかし、ピッケルの「ツアツケ」の部分が深く突き刺さっていたことを考えれば、傷は見た目よりも深いことが予想された。
とりあえず、消毒を重点に応急処置はしたが、幹部メンバー相談の上、大事をとって水上の病院に一時入院させることに決める。入院関係の対処は当日、予定行動を終えた川島、芝倉沢担当の樋口外、予定を終えたメンバーに一任し、吾々(加藤、大野)は、家族への連絡、現状報告に当たることにする。電話がないということで、当人の住所を確認、それを待って急遽16時頃、土合駅に停車する、上り上野行きに乗る。
上野駅に着いたのが、21時ちょっと前だっただろう。直ちに駅前でタクシーをひろい、江戸川区長島町にある鈴木の家に向かう。着いたところは木造立ての古いアパートだった。
尋ねることもなく鈴木の表札を見つけることができた。「ドア」をノックすると中から鈴木の母親と思われる女性が出てきた。一瞬見知らぬ訪問者に戸惑われた様子が伺えたが、事の仔細を話すと、すぐに、入り口正面の部屋に通された。余程慌てたと見えて、父親は上半身裸、高校生ぐらいの女の子と、中学生ぐらいの男の子は行き場を失い、立ちすくんでいたが、間も無く事情を察して、吾々のために、席を空け外へ出てくれた。そこで、両親と吾々の対話が始まる。まず、吾々の「自己紹介」、今回の「合宿登山の目的」、「事故の状況」、「怪我の状況」、入院手続き等の説明をすると、それにいちいち頷いていた父親がしばらくすると口を開いた。「うちの倅も好きで山へ行っているのですから、そこまでしていただいて・・・・・、大変お世話をかけました。」と言ってくれた。
ほっとして、母親の入れてくれたお茶をいただき、お暇しようと立ち上がった時、ふと見えた父親の背中には見事な入れ墨があった。だが、それが般若の面であったかどうかを確かめるまでには至らなかった。
待っていたタクシーの中で加藤が言った。
「鈴木君は、上野にある土屋竹重の店に貼った新人募集のビラを見て会に入ってきた若い衆だ」と。
それにしても流石上野は日本の文化、芸術の拠点だ。背中にまで絵を画く人との出会いが多い。
(大野 明)
バックナンバー
新着ニュース
- エルメスの跡地はグッチ(2024年11月20日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 秋刀魚苦いかしょっぱいか(2024年11月08日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR