トップページ ≫ コラム ≫ 埼玉の余話 ≫ 埼玉の余話2013.11.28
コラム …埼玉の余話
世に、「絶対ということはない」というが、ある。生あるもの必ず滅す。死ということだ。そして流転。変化してやまないことだ。無常ということ。やはり常はないということだ。月も満ちれば必ず欠ける。この世の摂理をわかっていても、人はついつい忘れてしまって有頂天になるものだ。猪瀬都知事もその典型だ。知事選圧勝、東京オリンピック誘致確定と成功への階段をかけのぼった。有頂天のところで5000万円借用スキャンダルの地獄に堕ちた。人はこんなものだとつくづく教えられた。まして、舌峰鋭く、相手をやりこめ、小説でも社会の不条理を追及してきた猪瀬氏。権力を握ればやはり、御多聞にもれず堕落の道をたどり、行き着くところは奈落の底だ。しかも言い訳が毎日違って、醜態をさらけだしてしまった。顔相も悪くなった。この人がオリンピックがやってくる東京の顔かと世界の人達はあきれているに違いない。強行採決を通して喜んでいる自民党も有頂天になりすぎていないか。みんなの党も同じようなものだ。アジェンダの叫びが虚しい遠吠えになって聞こえてくる。与党よ。野党よ。恥を知るべきだ。かって、アメリカの文化人類学者ルースベネデクト女史は日本の文化の特色を恥をもっとも大切にする文化と喝破した。権力があるもの、もって銘すべきだ。
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