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コラム …男の珈琲タイム
蟹江敬三を偲ぶ会が盛大に行われた。私はテレビに映し出された蟹江敬三の遺影を観ていて、改めて彼が懐かしくなった。
あの日本人離れした深い掘りの形相。どこかではにかんでいて、照れを隠している。人間が好きで好きでたまらないくせに、わざと嫌いなようなポーズをとりながら、人なつこくて、やさしさが泣いているような独特の風貌に何十年と私は取りつかれてきたのだ。時代劇での悪役ぶり、厳しい刑事ぶりを遺憾なく発揮して魅了したあの現代劇等々。
なかでも圧巻は向田邦子原作のドラマだった。平凡なサラリーマン家庭の夫役が蟹江敬三。女房役が竹下景子だった。誰が観ても幸せそうな家庭で、やさしい夫と美貌の妻。子供も二人、大学生と高校生。ある日、いつものように、お父さん大好きの長女が父親を見送ってあたりまえの様な一日が始まるのだがそのまま夫である蟹江は失踪。行方がまったくわからなくなってしまう。一週間ぐらい経つと、夫はなじみだった小さなおでん屋の女将と暮らし始めていることがわかる。なんの予兆もなかっただけに、子供達はもちろん、妻の衝撃と嘆きは計り知れなかった。気をとりもどした妻は女将を訪ねる。竹下の演じる美貌の妻の着物姿は男と女がもっている埋めがたい深く白い河底のようなものを表現するに充分過ぎた。「あなたなのね、私の夫を愛して下さっているのは?」しばしの沈黙がかえって愛と憎しみとが同居する男女の複雑な姿と、賢い妻のもつ独特の響きを表わしていた。
唯、黙ってうなずくおでん屋の女将には罪深さと、そうはいっても恋情には負けてしまう女のかよわさとはかなさがにじみでていた。
「じゃ、よろしくね」毅然として立ち去る女。うつむいたまま見送る女。寂々寥々とした空気がしばし漂っていた。
夫をとられた女が坂道を下りかけた時、おでん種や野菜を買いこんで坂道を登ってくる男、蟹江の扮する妻を捨てた男、夫とバッタリと出くわしてしまう。二人はすっと一瞬通り過ごしたかに見えたが、妻の瞳が鋭く夫の顔を刺した。夫はうなだれたまま足早にその場を数百歩立ち去った。しかし、すぐさま坂を下っていく妻の背中にくぎづけとなった。そして崩れおちるように、その場にしゃがみこんだ。さらに手をついた。身体が懺悔の型になった。蟹江の表情が、歪み、屈し、涙がシワじゅうからにじみでているかに見えた。〝ゆるしてくれ、おまえを本当に愛してるんだ!でも、もうもどれない!何なんだこの気持ちは!!・・・〟苦渋に満ちた男の顔が、蟹江の得意とするところだ。深い哀愁と不条理。やりきれないせつなさ。蟹江はこれを演じるにやはり一流だった。竹下の演ずる妻も見事だった。やがて月日が流れ、この悲しみが乾いていくことをうしろ姿で見せつけていた。後日、竹下景子はその時の蟹江を絶賛した。その蟹江は永遠の旅人となっていまは無い。そして私の脳裏からも永遠に去ることはないだろう。
(鹿島 修太)
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