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コラム …男の珈琲タイム
号泣議員という人が世界の電波にのった。泣くということが、こんなにも恥さらしになるとしたら、我々はもう一度、涙や泣くという所業を考えてみなければいけないと思ってテレビを観ていたら象の涙というタイトルで画像に象が現われた。象は本当に泣くのだという。象使いの息子さんが亡くなった時も象は大粒の涙をこぼして悲しみの心を表現したという。そしてもっと驚かされたのは、象の主人の葬儀の時は数匹の象達が一緒に涙を流して悲しんだというのだ。涙にもいろいろあるなと思ったし、人間以外の動物にそういう憂愁にみちた感情があるということに私は感動すら覚えたのだ。
〝涙は地球で一番小さな湖です〟と書いた詩人がいたが、涙はどちらかというと美をともなっているものだ。例え悔し涙といっても何かそこには人間の心が振動し、心の潤いみたいなものがあるからではないだろうか。
それに対してあの号泣議員は本当に涙を流していたのだろうか。号泣は偽装にすぎず、心の潤いも何もなく、およそ低劣な人間性を露呈した悪業のようなものだったのではないか。涙に対する冒涜といってよい。あの号泣人間のたちふるまいが、涙する象と重なって私の心は凍りついたように冷たくなった。
人間とはかくしも愚かなものか。そして今度は脱法ドラッグを吸っていた県会議員が現れた。何をかいわんだ。脱法議員達は人間の尊厳まで崩してしまっている。梅雨がもうじき終わろうとするのに私の心はいまだに梅雨明けの気配がない。
(鹿島 修太)
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