トップページ ≫ コラム ≫ 埼玉の余話 ≫ 埼玉の余話2014.11.21 「選良達のいない議会」
コラム …埼玉の余話
県議会議員も市議会議員も選良といわれる。
この選良という聞きなれぬ言葉の意味は重い。選びぬかれたすぐれた人達をいう。しかし残念ながら選良ということを自覚している人はほんの一部にすぎない。2期、3期と続けると、どうしても執行部である首長や部長達と右手で握手、左手でおどし的な作法を身につけてきてしまう。何かというと、“俺達の言う事を聞かなかったらどうなるかみてろ”的な姿勢で首長達に接してくる。したがって人間性も劣化する。身近なさいたま市議会をみていても、一部の議員であるにしてもおよそ選良という名からは程遠い人達がいることは事実だ。もっと残念なのは、その一部や、一人のボス的存在に身を委ねてしまっているふぬけのような人達の存在だ。選良は気慨をもって、一千万人といえども我往かんと自らの旗をあげるべきだ。
昔、ダンナ政治が大手をふるっていた。何ら批判的な姿勢はもたず、金力があって、全て良きにはからえという良くも悪くも大らかな政治があった。しかし、大らかであるがゆえに卑しい魂はもたなかった。
今は議員の心が卑しすぎる。人の足をひっぱることに快感を持つと人間は劣化の道を堕ちてゆくだけだ。したがって人相の悪い人達が議会を占めるようになった。憂慮この上なしだ。
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