トップページ ≫ コラム ≫ 埼玉の余話 ≫ 埼玉の余話 2010.12.2
コラム …埼玉の余話
・さいたま市の中学校で万引きがかなり行われているという。学校は隠しているのかどうか知らないが、父兄の間では広まっていると聞く。しかも、この万引きで見つかった生徒にはまるで反省心が無く、スリルのように楽しんでいる者もいて深刻だ。偏差値がどうだこうだと言う陰で、教育の根源である筈の人間教育が忘れられているところに問題の深さがある。県内トップクラスの進学校OBの医者が言った。“我が校のOBで本当に人生の成功者は3割しかいないんだけれど、みんな世間の親たちはこの高校にさえ受かればと騒いでいる。人生はもっともっと深いんだよね”と。
・支持率が1%になっても総理は辞めない“とどこかの「勘」違い総理が見得を切った。その心意気は賛成だ。支持率政治はいたずらに政治家をポピュリズムの淵に追いやってしまう。大衆迎合からは大衆の本当の幸せは生まれはしないことを肝に銘ずるべきだ。しかし、この勘違い総理は一つの志や見事な政策のために千万人といえども我行かんという強い信念からの発言ではないのはみえみえだ。単なる自己保身からだけだろう。どうも、近頃の政治家は国も地方も単なる自己就職活動の結果とか自己顕示欲から政治を目指し志のためという人は希有の存在となってしまったのではないか。寂しいはなしだ。
・一度選挙に落ちて次なる4年間を真の修行として自己鍛錬する人と、相も変わらず、権力の残影を引きずりながらいわゆる手下のような者に自己宣伝をしたり、させたりして、むしろ以前より劣等になってしまう人もかなりいることが目立つ昨今。そういう人に限ってうわべのペコペコはやたらと多くなって中身の醜悪さはますます色濃くなっていく。自戒、自省、反省とは今までの自分をおもいきり捨て去るところにその意味があることに気付いてもらいたいものだ。4回も衆議院を落ちた上田知事の修行の形は、現実の世界で確かな実を結んでいるような気がしてならない。
・海老蔵は恥を知るべきだ。女グセ、酒グセ等その劣等さ加減は政治家を超えていることは事実のようだ。有頂天になった者の姿ほど醜いものはない。有頂天の先には必ず地獄の穴が待っていて苦難の修行の先には必ずや明るい楽天の空がある筈だ。もって海老蔵を他山の石とすべし、否、他海の魚か?
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