トップページ ≫ 教育クリエイター 秋田洋和論集 ≫ 66年目の終戦記念日に記しておきたいことの2つ
教育クリエイター 秋田洋和論集
史観という明確なものはもっていないが、私感というならば、それなりのものはもっているつもりだ。特に馴染めないのは、右か左か、憲法改正か否かという硬直感だ。人は右よりか左よりかのどちらかでなく、全く関係なく生きている人達が大部分のはずだ。「ああ考えてみれば、自分は右よりだ、左よりではない」程度ではないだろうか。しかしまあ、政治や言論の世界では、そうはいってられないのが現実で仕方ない。さて、終戦を記して、小子のところに1枚のFAXが届けられた。この文言は小子が参加している勉強会の会員のものだ。この文章をまず諸氏にお送りすることは意味深いことだと想うのでお許し願いたい。以下はその文章である。
「無条件降伏」という国際的な詐欺とそれに騙され続ける日本
「史実を世界に発信する会」
1945年7月26日に米英支が発したポツダム宣言を受諾して日本は降伏した。宣言は、13項目からなるが、第5項で「われらの条件は以下の如し。われらは右条件より離脱すること無かるべし」とあり、以下8項目の条件が掲げられている。明らかに「有条件降伏」であり、その第13項に「全日本国軍隊の無条件降伏」がある。
「軍隊の無条件降伏」と「国家の無条件降伏」が全く異なることは言うまでもない。国際法の常識である。従って、7月30日に開催されたアメリカ国務省の国務長官スタッフ会議では、それ以前にアメリカが考えていた「国家の無条件降伏」と7月26日の宣言とはどのように違うか、検討された覚書でこの違いについて検討している。
そこで明確にこう述べている。「この宣言は、日本国および日本国政府に対して降伏条件を提示した文章であって、受諾されれば国際法の一般準則によって解釈さるべき国際協定となるであろう。」更に「この宣言は、無条件降伏が「全日本国軍隊」にのみ適用されると解している。」と当然のことながら書かれているのである。
マッカーサーですら、このくらいの国際法の常識を持っていたので、送られてきた「降伏後の対日初期方針」に疑問を感じ、9月3日マーシャル参謀長あて手紙を送っている。「特に内示された指令は、いくつかの点において降伏文書とポツダム宣言に規定されている諸原則を著しく逸脱していると思われるので、小官は所見を貴官に上申しておかなければならないと感じるのである。」
直ちにトルーマン大統領から、これに答える指令が9月6日付で送られてきた。「我々と日本の関係は、契約的基礎の上に立っているのではなく、無条件降伏を基礎とするものである。」
要するに、ポツダム宣言以前の無条件降伏でいくのだ、と開き直ったわけである。それは間違っていることを分かっていながら、「軍隊を武装解除」してしまえば、何を言っても通るとばかり、正しく国際的な背信詐欺行為を堂々と行ったのである。
これを受けて占領軍民間検閲支隊長フーバー大佐は、日本の報道関係者に「マッカーサー元帥は、連合国はいかなる意味でも、日本を対等と見做していないことを明瞭に理解するよう欲している。…最高司令官は日本政府に命令する…交渉するのではない」と強圧的宣言を行い、「言論、宗教及思想の自由は尊重さるべし」と言う宣言の規定を踏みにじって、徹底的な検閲、さらには史上例を見ない焚書まで行ったのである。
しかも、憲法まで検閲下で変えさせられたにもかかわらず、「無条件降伏」論にやられてしまった日本人は、これに対するまともな反論を行う事が出来ずにここまで来てしまった。負けたのだから仕方がないといつまでも思っていたのでは駄目だ。「無条件降伏」などということは詐欺であり、不当なことである、という認識なしには、敗戦克服、日本再生はないということである。
(2011.8.5)
これが1つ。
そして2つ目が連合国軍総司令官だったマッカーサー元帥の1951年5月3日、米国上院軍事外交合同委員会におけるアメリカの極東政策をめぐる公聴会で有名になった。マッカーサー氏の証言、いわゆる日本の戦争の動機についてである。この証言について上智大学名誉教授の渡部昇一氏の意見に小子は賛成してきている。以下はその証言の一部である。
「日本は絹産業以外には固有の産業はほとんどない。(中略)綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない、その他実に多くの原料が欠如している。もしこれらの原料の供給を断ち切れたら、一千万から一千二百万の失業者が発生することを彼ら(日本)は恐れていました。したがって、彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」
要するにマッカーサーは極東裁判を自ら否定しているに等しい発言をしているのだ。確かに、日本国内の有力なる戦争反対を押し切って無謀なる決断をした、当時の無能なるリーダー、そして軍部の暴走は許されるべきではないが、極東裁判において日本が一方的な侵略者の汚名を着せられ、そして、全て日本の歴史や文化に大罪があるような教育をなされてきたことは、やはりこの辺で終止符を打ち、大震災と同じようにしっかりとした再スタートをすべきと思っている。
主筆 大川修司
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