トップページ ≫ 教育クリエイター 秋田洋和論集 ≫ 品格ある子どもの育て方第四章 品格を育てられる「学校と先生」の条件とは?(63)
教育クリエイター 秋田洋和論集
間違いを見直そうとしない子どもたち
~頑張った自分をほめる子どもたち~
点検というキーワードを教育の現場に落とし込むときには、算数・数学を例にして考えるとわかりやすいのです。
いわゆるゆとり教育になってからというもの、塾の現場ではこういうやりとりが行われています。計算問題の答え合わせの場をイメージしてください。
先生「おいおい、この2番間違えてるぞ。こんなのもう1回見直せばできただろ」
生徒「あっ、本当だ(赤ペンで答えだけ書き直す)」
先生「答えだけ修正してもダメだよ。間違えた原因を修正しないと何回でも同じ失敗するぞ」
生徒「(聞いていない)俺こんなに頑張ったのに~」
私が教えているのは、中学生全体で見ると学力的にかなり上位の生徒たちですが、彼らであってもはじめの数回の授業はこんな様子です。
「赤ペンで答えだけ修正しても、まったくおりこうにはならない」
「頑張ったという言葉は当事者が使う言葉ではない。結果が出ない努力は無駄な努力。何もしていないのと同じ。結果を出すために工夫し、成果が出たときにはじめて他人が発する言葉である」
ということを、私は毎回毎回ブツブツ言い続けます。合格は自分でつかみ取るものです。自分で考え、工夫し勝ち取ったものしか自分の武器にはならないからです。
みなさんに知ってほしいのは、残念ながら今の公立小中学校の評価制度がこういう生徒を育てているということです。極端な書き方をするならば、結果が出なくても「○○君はよく頑張ったから」という理由で、通知表は5になったりする可能性があるのです。
これが絶対評価のカラクリです。赤ペンで答えだけ修正して平気な顔をしていられるのも、
・できるようになることを評価するのではなく、
・きちんと期限までにノートを提出することを優先して評価する
ことに子どもたちが慣れきっているからなのです。
テストが悪くても、カラフルできちんとノートが作成されていれば、極端な話通知表で5は取れます。彼らは悪気なく、これが勉強と思い込んで育っているわけです。
極端に言えば、
・頭を使うとはどういうことか
・ミスをなくすために自分が気をつけなければならないことは何か
・どうすればもっと自分の技術が向上するか
ということを考えたことすらなくても、高校生になれてしまう現実があります。
この生徒たちは、すでに社会に進出し始めています。
例えばレストランなら、注文したメニューと違うものを運んでも、手違いでずいぶんお客を待たせても、ウェイターの若者は「でも俺だって頑張ってるんだから、なんで怒られなきゃならないんすか」としかい言わないでしょう。
そして何度でも同じミスを繰り返す。仕方がない。そうやって育ってきているのです。間違えた自分を見直すより、頑張った自分をほめようというこの世代と付き合うのはみなさんなのです。
人命に関わる事故だって、すでに起きてはいませんか?エレベーター、車、飛行機……。すべてがゆとり世代の原因ではありませんが、この思考回路がすでに世の中にまん延しているのでは?と思わせる瞬間は多々あります。
「品格ある子どもの育て方(PHP文庫) 秋田洋和著」より
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