トップページ ≫ 教育クリエイター 秋田洋和論集 ≫ さいたま市は「ドテラ」をやるべきか(3)
教育クリエイター 秋田洋和論集
さいたま市教組のページにアクセスしたところ,「ドテラには反対」という主張が書かれていました。その理由を詳しく読んでみると,私がリサーチした段階で「反対」の声を挙げた方々とほぼ同じで,
「そんなことを始めるより少人数制(1クラスあたりの生徒数,教員1人あたりの生徒数を減少させる=教員の増員)を実現するほうが,子どもたちの学力向上に役立つ」というものでした。
私自身,理想論とすればこの考えに反対するつもりはないのですが,「現実に少人数制の施策が実現するのかどうか」を検討してみない限り,話が全く前に進まないことも事実です。実現するのであれば全く問題はないのですが,現段階においては「ちょっとその見込みは薄い」というのが私の見立てであり,私がドテラに賛成する理由の2つ目なのです。
○今は教員を増やせない
ちょうど1年前になりますが,小中学校の先生方の平均年齢に関する記事(
http://www.qualitysaitama.com/?p=482)において,埼玉県の小中学校教員が「大量退職・大量採用」の時代に入っていることをお伝えしました。さいたま市でも,もっと採用規模の大きい東京都でも同様の事態が起こっていて,都市圏の自治体では「教員確保」にあの手この手のアイデアを繰り出しているのが現状です。具体的には「地方在住の教員志望者をどうやって都市圏に連れてくるか」を考えているようです。地方に出向いて説明会実施はすでに当たり前のことですし,試験そのものも「地方会場」を設置しなければならない事態になっています。
TVニュースでも話題になりましたが,東京都は「仙台からの日帰りバスツアー」を企画して教員志望者に「東京の小学校をみてもらう機会」を用意しました。埼玉県では,新たに青森県弘前市に採用試験会場を設け41人の応募者を確保したそうです。
この背景には,「小・中学校教員採用試験の競争倍率格差」があります。特に東北地方で先生になるのは大変で,倍率が20倍・30倍となることが珍しくありません。その一方で,前述のように都市圏では定年を迎える先生が大量に退職するため,新しい教員採用が急ピッチで進められています。平成20年度の試験による小学校教員の採用者数で見ると,東京都の1404名採用に対して秋田県ではわずか9名と,信じられないような差がついているのです。
では,さいたま市の事情はどうなっているのでしょうか。
|
|
H22採用 |
H21採用 |
小学校教員 |
志願者数 |
448人 |
444人 |
採用見込数 |
130人 |
120人 |
|
倍率 |
3.4倍 |
3.7倍 |
|
小学校教員 |
志願者数 |
449人 |
434人 |
採用見込数 |
55人 |
45人 |
|
倍率 |
8.9倍 |
9.6倍 |
さいたま市ホームページより
小学校教員の採用倍率が3倍ちょっとであることを,客観的にみるとどのように考えるべきなのでしょうか。埼玉県(さいたま市は採用が別枠です)の場合だと,H22年採用分の倍率が3.2倍(前年度3.0倍)になったと発表しました。県教育局では『志願者倍率3.0倍を「質の低下が懸念される」限界の基準として考えている』とのことで,倍率が3.0倍まで下がった前年の危機感から弘前会場を設けるなどして,東北地方などでの志願者獲得に躍起になったわけです。実は,さいたま市の採用状況も「質の低下が懸念されるレベル」に近いのが現状なのです。
○採用倍率が下がるとどのような弊害がおこるのか
小学校教員が1人で全教科を指導する(もちろん音楽・体育など若干の例外はありますが)ことは,皆さんご存じのことだと思います。実際には「どの教科であっても高い知識と指導力を持ち合わせる先生」ばかりではないことは容易に想像できることで,どの先生だって人間ですから得意・不得意はあって当然なのです。それでも不得意と称するレベルにも限界があって,ある程度の知識は持ち合わせた上で「子どもと一緒に勉強しながら成長する」ことできることが採用の前提となります。
ところが,現在以上に倍率が下がって事実上「数合わせの採用」をしなければならない事態になれば,とくに算数や理科といった教科において「先生自身も苦手で本質をよくわかっていない」レベルの教員が大量に誕生してしまう危険性を伴います。こうした先生が教壇にたてば,先生自身の苦手教科については「指導書とおりにしか授業を進められない」とか「自分の解き方・説明以外は認めない」といった,井戸端会議でよく聞かれるような指導が行われ,結果的に「本質がよくわかっていない子どもを再生産してしまう」可能性が生じてしまうのです。
例えば「分数」の概念を初めて教えるとき,先生自身がその本質をよくわかった上で指導しないと,子どもは「分数の計算はできるけれど(今はできない子も多いですが),割合の問題になると全く理解できない」方向に結果として進んでいきます。担任の先生が毎年変わる学校であればあるほど,親は後から「根本的に理解不十分になったのはどこからか」という検証を行いにくくなりますから,小学生のうちから塾に通っている子ども以外は「本質がわからないまま学年が進み,中学生になる頃には『手遅れ』となってしまう可能性」が高くなるのです(今でもその傾向は見てとれますが)。
この子どもたちが再度勉強の楽しさに目覚めるには,現状においては「塾に通って最初からやり直す」しか方法がありません。こうした「やり直しの勉強」を中学の先生にお任せするのはあまりに酷な話で(部活など時間的拘束も多いので),授業中や放課後だけの指導では限界があると考えるほうが自然だからです。
○理想より現実を直視すれば「ドテラ」は必要になる
特に小学校において数合わせの大量採用を行うと,学力面はもちろん,学級運営や危機管理といった視点においても「機転がきかない」教員が混じってくる可能性が高くなります。ですから,現場からどれだけ「教員を増員するべき」という声が挙がろうとも,やはり教員採用においては「一定の基準」を守ることが必要になります。となれば,今でさえ基準ギリギリの採用を続けているのに,これ以上採用数を増やすことができるでしょうか?
ですから私は,さいたま市教組が主張する「少人数制の実現」は現段階では無理だと考えます。無理であることを前提として,どうやって子どもたちの基礎学力を維持あるいは向上させていくのかを考えるべきだと思うのです。これ以上現場の皆さんに負担を強いることをせずに。
だからこそ,まったく別枠の時間を設定して「塾に通えない子どもが勉強できる場所」を提供してあげることは,さいたま市が文教都市を名乗る以上やはり必要なのではないかと考えます。特に数年先の教育現場や子どもたちの学力を想定すれば
(前回の記事参照: http://www.qualitysaitama.com/?p=4910 ),中学校よりもむしろ小学校にドテラを可能な限り設置して,「(わからないところが増えているから)勉強に対するモチベーションが落ちている」子どもを早めに救済してあげる場として定着させることの必要性を強く感じるのです。
~秋田洋和~
清和大学法学研究所客員研究員。
私立中学や学習塾への教育コンサルタントとしても活躍。
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