トップページ ≫ 教育クリエイター 秋田洋和論集 ≫ あまり知られていない? 甲子園準優勝 聖望学園の物語
教育クリエイター 秋田洋和論集
県民に大きな誇りを持たせた聖望学園。飯能市にあるミッションスクール聖望学園が、この快挙をもたらしたのは、単なる偶然ではなかった。現在聖望学園は文武両道の県下でも有数な学校であるが、ここまで来るには、学校経営者の涙ぐましい努力があった。聖望学園の歴史は古く(下記に記す)、特に飯能実業という校名の時には、飯能を中心とした周辺地区の実業家は飯能実業出身の人たちが多かった。ちなみに地方デパートの雄、丸広百貨店の創設者の大久保会長は、当校の出身である。
聖望学園と校名を変更して、昭和50年代に現理事長(当時校長)の神田秀夫氏は、なんとか聖望学園を有名校にすべく、政治家、実業家等と夜を徹して相談し、まず、野球と陸上の強化を思い切り図った。その努力の軌跡を述べたら枚挙にいとまがない。ほとんど神田校長には休日という日は無縁だった。勿論、その方法について行けず、背中を向けて去って行った人たちもいた。しかし、日本一の聖望学園という価値と目標の共有が一大エンジンとなった。その成果は日を追って明らかになり、甲子園出場、インターハイ出場、そして卒業生のプロ野球入りとまでなった。一方、大学進学率もそれに伴って高まり、今日の文武両道の有名校となった。
(理念)
聖望学園はわが国における最高の教育を志向する。
キリスト教教育の理念に基づき現代の潮流をふまえ、社会を変革せんとする有意・有益なる人物の育成を期する。
(沿革)
・1918 (大正7年)4月 埼玉県飯能町に寿多館蚕業学校創立、須田甚作校長となる
・1924 (大正13年) 2月 財団法人 飯能実業学校開設
・1949 (昭和24年) 4月 飯能暁高等学校と校名変更、暁中学校を併設
・1951 (昭和26年) 3月 財団法人飯能実業高校より学校法人聖望学園に組織変更の認可があり、 校長須田甚作退任藤原政太郎理事長に就任
4月 満江巌聖望学園学校長に就任、退任。理事長藤原政太郎校長に就任
10月1日 藤原学校長退任、ルーテル教団経営によるボール・クライリング学校長に就任
・1961 (昭和36年) 3月 本館B棟校舎(3階建)落成10月 聖望10周年
・1964 (昭和39年) 3月 本館A棟校舎(4階建)落成
・1972 (昭和47年) 3月 礼拝堂落成
・1974 (昭和49年) 6月 本館C棟防音校舎落成
・1982 (昭和57年) 1月 下川崎総合グラウンド完成(野球、陸上、サッカー、テニス4面)
・1983 (昭和58年) 4月 体育館・特別教室棟落成
・1984 (昭和59年) 4月 南館校舎(2階建)落成
・1987 (昭和62年) 4月 6ヵ年の中・高一貫教育カリキュラム設定
・1996 (平成8年) 9月 北館校舎(2階建)落成
10月 聖望45周年
・1999 (平成11年) 8月 本館BC棟耐震工事12月 研修所(3階建)落成
・2000 (平成12年) 3月 東館校舎(2階建)落成
・2001 (平成13年) 4月 学校長神田秀夫退任、渡部勲学校長に就任
10月 聖望50周年
・2002 (平成14年) 10月 理事長松川和照退任、神田秀夫理事長に就任
・2003 (平成15年) 4月 学校長渡部勲退任、湯口隆司学校長に就任
・2004 (平成16年) 4月 二学期制、ステージ・コース制を導入
・2007 (平成19年) 4月 学校長湯口隆司退任、関純彦学校長に就任
(2007年度大学進学実績)
東京工業2、北海道1、東北1、千葉3、横浜国立1、埼玉6、早稲田13、慶應義塾3、上智4、東京理科17、明治15、青山学院12、立教19、中央21、法政25、日本33、東洋31、学習院6
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