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外交評論家 加瀬英明 論集
アメリカでは、今日でも白人と黒人の間に際立った格差がある。
1世帯あたりの平均所得を較べると、黒人は白人の63%でしかない。教育水準も大きく劣る。17歳の黒人の少年の学力は、13歳の白人少年の水準にしか達していない。
黒人は営利会社の経営者の5%しか、占めていない。20歳から34歳の黒人成年男性のうち、100人に11人が刑務所で暮らしている。白人の7倍の比率だ。黒人の少年の69%が未婚の母親から、生まれている。
私がアメリカで学んだ1950年代後半では、黒人は多くの州で法的に差別されていた。とくに南部では学校、電車、バス、待合室、便所、食堂、プールなどが、白人と黒人に区別されていた。私は東部の一流校で学んだが、クラスに黒人はいなかった。
アメリカでは若い世代の間で、黒人に対する差別意識が薄れるようになっている。白人と黒人の間の結婚件数は1970年と比較すると、7倍に増えている。
私は留学中にブリタニカ大百科事典の第二次大戦後の版の「人種」の項目に、「多くの科学的調査によれば、黒人は感情が不安定で、自己を抑制する力がない」と書かれていたのを憶えている。先住民のインデアンを「知能が低い」ときめつけていた。日本が4年近くにわたって戦い、アメリカを懲らしめたのが効いたせいか、日本人には触れていなかった。
今日、アメリカで黒人が白人に混って活躍できるようになったのは、日本国民が先の大戦を大きな犠牲を払って戦ったためである。
そのために、数世紀にわたって白人の苛酷な支配のもとで呻吟していたアジアの諸民族が、解放された。植民地解放の高波がアフリカも洗うようになり、アフリカの諸民族がつぎつぎと独立を獲得していった。
アメリカは黒人を長い間にわたって法的に差別してきたが、黒人を抑えつけることができず、1960年代に入ると黒人の公民権の要求を受け容れることを強いられた。
もし、日本が先の大戦を戦うことがなかったら、今日でも白人がアジア・アフリカを同じように支配し、アメリカにおいて黒人に対する差別が続いていたに違いない。
第二次大戦が終わるまでは、黒人はメジャー・リーグの野球選手になれなかった。プロゴルフ界のタイガー・ウッズが活躍しているが、黒人がゴルフコースでプレイすることは考えられなかった。テニスも同じことだった。アメリカで黒人が白人と並んで活躍できるようになったことは、日本の力によるものである。日本として大いに誇るべきことである。
日本国民は明治に開国してから、2つの大きな夢をいだいてきた。1つは西洋の列強によって強いられた、屈辱的な一連の不平等条約を改正することであり、もう1つは人種平等の世界を創り出すことだった。
幕末に海外を旅した先人たちは、アジア・アフリカで住民が西洋人によって、家畜のように使役されているのを見て、憤った。明治時代から先の大戦に敗れるまで、日本語のなかで「白魔」という言葉が日常的に使われていたのに、白人が態度を改めたために死語になってしまっている。
日本はアジア・アフリカの諸民族を解放するために、先の大戦に参戦したのではなかった。しかし、戦端が開かれると、日本の多くの青年たちが人種平等の理想の世界を実現するために生命を捧げた。
昭和天皇は敗戦の翌年に、側近者に次のように述懐された。
「第1次世界大戦後の講話会議において、わが国代表によりて主張せられたる人種平等に関する日本国民の叫びは、列国の容るるところとならず、黄白の差別観は世界の各地に残存し、かのカリフォルニア州日本人移民排斥のごとき、またオーストラリアの白豪主義のごときは、日本国民をして憤慨せしむるに充分なものであった」
ベルサイユ会議において国際連盟憲章が起草されたが、日本全権団が人種平等の原則を盛り込むことを強く主張したのにもかかわらず、アメリカ、ヨーロッパ諸国によって拒まれたことを指している。アメリカはフィリピンを植民地としていただけでなく、国内で人種差別を行っていた。
人種差別が人類の歴史を通じて、長い間にわたって行われてきたが、日本が先の大戦を戦ったために、人種差別のない理想世界が招き寄せられたのだった。 (自由20年7月号より)
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