トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ リッチなハートは読書から ①池波正太郎著 「新 私の歳月」(講談社文庫)より
外交評論家 加瀬英明 論集
勘ばたらきを鍛えよう
「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」でおなじみの池波正太郎氏は
生まれも育ちも東京下町の、いわゆる江戸っ子である。ご先祖は江戸時代の中ごろ越中富山は木彫で名高い井波から江戸に移り住んだそうである。
これらを反映してか作品にも江戸時代の庶民の暮らしや職人気質などが哀歓こもごも、いいタッチで描かれており、なにか、ほんのりとした気持にさせられてしまい、多くの読者は、この情緒溢れる独自の筆運びで活写された江戸時代と、そこに登場する名も無き庶民たちの醸し出す人情話に、つい引きこまれ、いつの間にか心地よい時間を過ごしてしまうのである。人間社会が複雑多岐にわたるのは今も昔も変わらない筈だが、人間関係はいつの時代であっても生きていく上で最も重要な課題であることには変わりない。「鬼平犯科帳」の主人公はいつも海千山千の部下を上手に手足のように使いこなしていますが、この長谷川平蔵のキャラクターは、池波正太郎が日常生活の中で心がけている同氏のポリシーを、そのまま投影させているのである。どうすれば人を上手に動かせるのか、こうすれば、ああなると、そのノウハウをこの本の中で語っていますので、要約してご紹介いたします。
『いまの日本人の生活は何もかも電化・機械化しちゃって
スイッチさえ入れれば用が足りる。
そのために人間の勘が鈍っちゃったんだよ。
昔は全部、手でやる。
自分の体と手を動かし、それで目を働かせ、
口を働かせしてやっていたわけです。
だから、おのずと勘というものが鍛えられていた。
そういう勘ばたらきがあればこそ、
人情の機微とか相手の気持ちとかパッとわかるわけだよ。
人間は何か特別な高等動物のように思い込んでいる人が多いけれど、
頭脳なんて肉体の一部に過ぎないんだからね。
手足の動きが全部頭脳の動きにつながっているんだよ。
だから手で覚えた、足で覚えたということがないと、
頭脳はどんどん鈍くなっていくんです。
勘が鈍くなったら絶対駄目。
いつでも現役で体を使って仕事をしていないと、
人間はたちまち駄目になる。
つねに仕事の先頭に立っている人は、勘がとぎすまされている。
だから、相手の顔をパッと見ただけで、
何をしてきたか何を思っているか、すぐにわかっちゃう。
叱りつけるだけじゃ駄目ですよ。しかった後は誉める。
その緩急の間合いが肝腎なんだよ。
それで結果として本人がいい気持ちになるようにしなきゃいけないから。
部下のみんなをそれぞれいい気持ちにさせることが上司の仕事なんだからね。
また、「今晩、飯でも食おう」と誘うのがいいか悪いか、考えなきゃいけない。
みんなそれぞれに私的な都合というものがある。
上役に誘われたら若い人は友達や恋人と約束があっても断りにくいでしょう。
だから勘の働きが鈍くなると駄目だというのはそこなんだ。
すべての事を正直に胸の中を言う人はほとんどいないんだからね。
上に立てば立つほど、それは相手の目の動きで察しないといけないわけだよ。
これは自分の自覚と訓練で、誰でもある程度出来るようになりますよ。
会社の肩書のついた名刺を振り回して行ったんじゃ駄目なの。
自分が誰であるか知らないところへ行って蕎麦でも何でも食うなり、
あるいは買い物をするなりしてね、そういうとき相手が自分を
どんな目で見てるかということを自分で感じなきゃいけない。
それをしないと自分というものがわからなくなってしまう。
お茶を飲んだり昼飯を一人で食べたりするときに、
店に人が自分の言動や態度をどう見るか。
隣り合わせた人が自分をどう見るか。
必ず何らかの反応が相手に表れるから、それを絶えず感じ取る、
その訓練が勘をよくするし、気ばたらきをよくするんだよ。
結局、気ばたらきというのは「相手の立場に立って自分を見つめること」です。』
どうでしょうか。まあ、すべからくこの通りにとはいかないでしょうが、基本的に言わんとするところはご理解いただけると思います。
応用し活用すれば対人関係がさらに密度を増すこと請け合いだと思います。
あなたも『勘ばたらきを鍛えよう』を実践してみてはいかがでしょうか。
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