トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 日本人の「礼儀正しい微笑み」 外交評論家 加瀬英明
外交評論家 加瀬英明 論集
幕末から明治はじめにかけて日本を訪れた西洋人は、全国にわたって下層の庶民までが明るく、礼儀正しいことに驚いた。部屋に鍵がないのに、貴重品を置いたままにしても、盗まれることがけっしてないことに、驚嘆した。
モースは日本に二年滞在したが、こう記している。
「人々が正直である国にいることは、実に気持がよい。私は札入れや懐中時計を見張る必要がない。錠をかけぬ部屋の机の上に、小銭を置いたままにするが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りしても、触ってならぬ物には決して手を触れぬ。私の外套(がいとう)をクリーニングするために持って行った召使いは、ポケットに小銭が入っていたのに気がついて、それを持って来た(略)
日本人が正直であることの最もよい実証は、三千万人の国民の住家に、錠も鍵も閂(かんぬき)も戸じょうも・・・いや、錠をかけるべき戸すらも無いことだ。昼間はすべる衝立が唯一のドアであるが、その構造たるや十歳の子もこれを引き倒し、穴を明けられるほど弱い」
たしかに、西洋人の常識では引き戸といっても戸ではなく、衝立てだと思っただろう。
日本では貧しい庶民までが、笑みを絶やさなかった。これほど笑顔を湛えた国民は、他にいなかった。
“お雇い外人”の一人だったイギリスのウィリアム・ディクソン(1854~1928)は、明治9年に来日したが「日本では西洋の都会の群衆によく見かける、心労によってひしがれた顔つきなど、まったく見られない。老婆から赤児にいたるまで、誰もがにこやかで満ち足りている。彼らを見ていると、世の中に悲哀など存在しないかのようにすら、思われる」と書いている。
江戸時代後期に、ヨーロッパでは産業革命が進んだ。マルクス、エンゲルスの著述や、ディケンズの小説を読むと、資本家による搾取が悲惨な状況をつくりだしていた。そういう社会で生まれた思想を、先進的と勘違いしてかぶれた日本の左翼の学者が、歴史の真実をねじ曲げて、江戸時代を搾取と暗黒の差別社会だったと決めつけてきたのだった。
しかし、身分制度はあっても、それぞれの効用を認め、互いを生かし合う“思いやり”の文化のもとでは、町人も農民も微笑みを絶やさず暮らしていけた。
イギリスでは詩人のウィリアム・ブレーク(1757~1827)が「テームズの流れるほとり、私の出会った顔には どれも弱々しさと、呪いの烙印が刻まれていた」と詠じている。もう一人の作家のオリバー・ゴールドスミス(1728~74)は、「富が積まれ、人は衰えてゆくところ、国の歩みは道をはずれ、ますます悪の餌食となる」と慨嘆している。
しかし、日本では支配階層である武士よりも、民衆のほうが富を蓄積し、自由に楽しく暮らせるという逆転現象が生まれていたのだった。
ヨーロッパの下層階級はいつも暗い表情をして、粗暴だった。江戸の庶民は貧しくとも支えあい、そうした悲惨から免れていた。
笑顔ほど、美しい贈り物はない。日本人のなかに、意味もなく曖昧に笑うのは、西洋人から見ると不気味だから、やめるべきだと説く愚か者がいる。ここまでくると、西洋崇拝も浅はかに過ぎる。曖昧であることが、和を招く。微笑むことを目的として微笑むほど、美しいことはないではないか。
(徳の国富論 2章 日本民族は「こころ」の民より)
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