トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 「富は社会のもの、天下は万民のもの」 外交評論家 加瀬英明
外交評論家 加瀬英明 論集
家康の遺訓のなかに、「天下は天下の天下也」という言葉がでてくるが、日本には天下が万民のものである、という考えかたが存在していた。
『都(と)鄙(ひ)問答』を、さらに読んでいこう。
「富の主は天下の人々なり、主の心も我が心と同じきゆえに、我一銭を惜しむ心を推して、売り物に念を入れ、少しも粗相にせずして売渡さば、買人の心も初めは金銭惜しと思へども、代物の能きを以って、その惜しむ心も止むべし。惜しむ心も止め、善に化するの外あらんや。
且第一に倹約を守り、是まで一貫目の入用を七百目にて賄い、是迄一貫目有りし利を九百目あるようにすべし。
我が身を養わるる売り先を粗末にせずして真実にすれば、十が八は、売り先の心に合うものなり。売り先の心に合うように商売に情を入れ勤めなば、渡世に何ぞ案ずべき」
江戸時代の商人は商道徳を重んじた。義を守ることによって、利益を得るという「先義後利」を旨とした。
「天下の財宝を通用して、萬民の心をやすむるなれば、『天地四時流行し、萬物育わるる』と同じ、相合わん。かくの如くして富山の如くに至るとも、欲心といふべからず」(『都鄙問答』)
財物が天下に通用して、万人が満足する。「天地四時流行し」というのは、四季が移りゆくことであるが、万物が育われて、成長するのと同じ理であると、諭している。
梅岩は「まことの商人は先も立ち、我も立つことを思うなり」と説いているが、これは今日でも商道の基本であることに変わりがない。そして、富を「山」のごとく積みあげても、利己的な欲心からでたものではないと、述べている。
「或人問いて曰く、倹約は如何に心得て勤むべく候や。(略)
答。倹約と云うことは世俗に説くとは異なり、我が為に物ごとをしわくするにはあらず」
商人が富を築き、倹約するのは、我欲をみたすためではなくて、富を社会のために役立てるためだと、説いた。我が身だけの利潤を、狙ってはならなかった。奢侈を誘う貪る心や、我欲を通そうとする心を抑えて、「生まれながらの正直」(同)を実践することを、勧めた。
倹約は江戸時代を通じて、士農工商の身分を越えた、大きな徳目だった。そうした自制心は、美意識に適ったものだった。
梅岩は勤勉に働き、「能く貯へ、能く施す」と説いて、倹約し、布施をするべきことを教えた。そして飢饉や、大きな災害が発生するたびに、門弟を率いて、奉行所や豪商に協力を求めて、先頭にたって困窮者や罹災者に米や、金を施した。
「心学」の目的は互に力を合わせて助け合い、調和がとれた世の中をつくることだった。梅岩の眼中には、身分差別などなかった。
(徳の国富論 第4章 売り手よし買い手よし社会よし)
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