トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 「美意識が良好な治安のもと」 外交評論家 加瀬英明
外交評論家 加瀬英明 論集
日本人は美意識が突出して、発達している。
私たちは理性的な善悪よりも、感性に訴える美を尺度として生きてきた。清潔さを重んじて、穢れを嫌ってきたのも、美意識が働いている。日本人にとっての善悪は、理屈によらずに感性から発している。
美意識が人々の生活哲学と、行動様式を律していた。江戸時代を通して、治安がきわめてよかったが、人々の美意識が高かったことによった。美意識が精神までを律していたのである。
このような美意識が生き方の規範をつくっていた社会は、日本の他にどこにもなかった。武士道も死生を超越する美への憧れから、生まれたものだった。日本は恥の文化だといわれるが、恥も美意識から、発している。
いき、すい、通、男伊達をはじめとする言葉は、江戸期の町人文化が生んだ町人語である。これらの言葉は美的な理念から生まれて、日常生活の行動基準となっていた。
今日では、いきは粋という字を当てているが、もともとは意気と書かれた。江戸時代には、いきには、侠、風流、秀美、好風、好漢、花美など、多くの字を当てている。「粋」の字は「すい」と読ませた。
いきという言葉は、はじめは意気を尊ぶことから生まれたが純粋さや、美しい心や、気風が、外に表れてくるときの形の美しさを指していた。いきも、粋、粋人も、人情の表裏に通じており、美意識にもとづいて行動することが、何よりも大切な条件だった。
通、通人、通り者も、遊びのしきたりや、知識を知り抜いているだけではなく、人情や世情の機微に通じていなければならなかった。それが、粋な人である。
男伊達も、男気もいきであり、侠気があって、義理を守り、意地を張り、男の面目を立て通す男性を意味していた。それと同時に、情が細やかでなければならなかった。
「かっこうをつける」も言ったが、心の美しさこそが大事だった。
このような美意識は、表面的な美ではなく、心が形となって現われたものでなければならなかった。いなせ、きおい、いきみといった言葉も、心と一体になっていた。きおいは侠い、勢い、気負いなどと書かれたし、いきみには意気身という字をあてた。江戸の町人たちにとって“粋な人”といわれるのは、最高の誉めことばだったのだ。
江戸っ兒は「野暮と化物とは箱根より東に住まぬ」といって、自慢した。町火消しは「江戸の花」と呼ばれ、粋で命を惜しまないので、垢ぬけていると言われた。鳶の者は寒中でも、法被一枚、白足袋はだしの男伊達として、囃された。生粋の江戸っ兒はその心を、誇りにした。
女のなまめかしさ、つやっぽさや、色気も、視覚的な美しさとともに、内面から発するものだった。
漢字は中国から借りてきたものだが、日本で作った漢字は「国字」と呼ばれる。国字には親の分身である「躮(せがれ)」や痛みやすい「鰯」のように、おもしろい字が多い。
「躾」も国字の典型的なもので、もとの中国には存在していない。しつけは、明治に入ってからも「身花」とも書かれた。躾は自らを律することだが、これがもっともよく現われているのが女性の和装である。
世界の国々には、それぞれの民族衣装がある。韓国、中国、ヨーロッパまで、女性の装いといえば、みたところが綺麗である。しかし、日本の着物は、見たところの美しさだけではない。内面が美しくないと、美しくみえない。
今でも日本では男らしいといえば、外見ではなく、内面のことをいう。
たとえ男の体格が貧弱であったとしても、その人の精神や、行動のありようによって、男らしいという。西洋諸語で男らしいといえば、筋骨が隆々としているとか、見た目をいう。西洋の美が外見的なものであるのに対して、内面の美しさを問うているのは対照的である。
人々は心の美しさを、競いあった。心はたえず揺れ動き、想いも湧いては消える。生命すら露の間としてとらえる死生観のもとで、江戸の人々は永遠の美よりも、束の間の美を重んじた。
(徳の国富論 第5章 美意識が生き方の規範をつくった )
バックナンバー
新着ニュース
- エルメスの跡地はグッチ(2024年11月20日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 秋刀魚苦いかしょっぱいか(2024年11月08日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR