トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 「無価値の素材を用いる工芸品」 外交評論家 加瀬英明
外交評論家 加瀬英明 論集
日本の工芸品の素材には、金銀や、貴石などではなく、無価値のものが用いられることが多い。工芸品を潰したり、壊したとしたら、一銭にもならないものがほとんどである。皇室の宝物である正倉院の御物をとっても、財宝というよりも、大半が日用品である。素材そのものの値打ちよりも、そこにほどこされた人の想いや技巧をこそ、愛でているのであろう。
戦国の世の太閤秀吉は、金銀に価値をおき、黄金の茶室を誇ったりした。しかし、安定した江戸の社会では、庶民といえども物質より、精神を重く見る高い文化に達していたのだ。
太古の昔から、日本は八百万の神々とともに生きる国であったから、昨今、政府がスローガンとして打ち出したような、薄っぺらい意味ではなくて、美しい国であってきた。そこに出現した泰平の世は、さらに人々を成熟させ、世界に類をみない美しい人々を生んだ。
先日、私がかかわっている会に、中国の高官が出席してくれた。
会場で挨拶の言葉を述べるように頼んだところ、同行した通訳を通じて「いま、中国は日本のような“美しい国”をつくろうとして、国造りに努力しています」と、いった。私は中国とも、親しくしている。
日本政府が“美しい国”を合言葉にしようとして使っていることを、高官が知って、外交辞令としてそういったのだろうと思ったが、感謝した。しかし、中国のために「美しい国」が、新幹線や全国に張り巡らされた高速道路や、コンビニの全国チェーンや、公告板や、無人化された工場ではないことを、祈った。
私は本書のなかで、江戸期が庶民の時代であるといって、庶民をことさら中心に据えて取りあげてきた。だが、武士の役割を軽くみるつもりは、まったくない。何といっても、武士こそが日本の精神を支えてきた。
たしかに町民は誇り高かったから、「二本差がこわくて、目刺が食えるか」といって、武家に反撥した。
といっても、江戸っ兒気質(かたぎ)の源は、武士の美点である信義や、潔さや、質素な生活を重んじた精神にある。武士の精神の高潔さが庶民にも理解されて伝わり、さらには庶民が鏡となって映しとっていった。美意識については、庶民も武士と変わらなかった。
江戸っ兒の「宵超しの銭を持たぬ」という見栄は「武士は食わねど高楊枝」の町人版だった。武士も、町人も、日本の心を分かち合い支え合っていた。
(徳の国富論 第5章 美意識が生き方の規範をつくった )
バックナンバー
新着ニュース
- エルメスの跡地はグッチ(2024年11月20日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 秋刀魚苦いかしょっぱいか(2024年11月08日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR